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善悪利害得失


善悪利害得失を考えて生きている人は、今生きている命が本物だという気持ちで生きていますから、今生きている間に利益をつかまえよう、善をつかまえようという気持ちになるのです。
ところが今生きている命は、譬の命であって、本当の命ではないのです。命の本番をまだ経験していないのです。
人間がこの世に生まれたのは、初めてです。この世に、二回目、三回目に生まれたという人はいないでしょう。二回目、三回目という人がたまにいます。輪廻転生という思想がありますが、これは大嘘です。これは宗教観念の一番悪い思想です。
宗教は悪すぎます。嘘ばかり言っているのです。なぜかといいますと、命を知らずに理屈でごまかしているからです。
今の人間が生きている命は、何かといいますと、魂が生きているのです。自分の命があると思ったら、大間違いです。魂が人間のかっこうで生きているだけなのです。
男であるとか、女であるとか、日本人であるとか、アメリカ人であるとかいうことは、皆人間が言うことであって、魂は日本人もアメリカ人もないのです。魂には名前がないのです。これを人の子といいます。名なしの権兵衛です。
世界中の人が、目で見ることができる。耳で聞くことができる。一つの命しかないのです。一つの命を68億の人間が分胆して生きているのです。これを魂というのです。まず自分は魂であるという見方をするのです。
仏教には魂という言葉がありません。だから、仏教信者は魂という言葉を知らないのです。無神、無霊魂が仏教の本体なのです。阿弥陀如来も、イエスの譬としてあるのです。阿弥陀如来は、歴史的に実在していなかったのです。これは抽象人格です。イエスは本当にいたのです。いたからクリスマスがあるのです。イエスの誕生によって、西暦紀元が始まったのです。
魂は何をしているかといいますと、命を経験しているのです。借り物の命、天から貸し与えられている命を、魂は経験しているのです。人間は生きているのではなくて、命を経験しているのです。これを考える必要があるのです。
自分が生きていると思うから、善悪利害得失を考えるのです。生きているというのは、人間の妄念であって、ただ現世で命を経験しているだけなのです。これを本当に経験した人は、死をのりこえていけるのです。現世で本物の命を見つけた人は、死なない命がはっきり分かるのです。命が自分のものではないことがよく分かります。
命が自分のものだと思っている人は、必ず死にます。死んで地獄へ行くのです。地獄へ行くのは、自分が行くのです。ところが、自分の命ではないことが分かりますと、地獄へ行く自分が消えてしまうのです。これが大切なのです。
魂が命を経験しているのだから、得も損もないのです。損は損の経験、得は得の経験であって、長生きをしたから得をするわけではない。早く死んだから損をするわけでもない。お金が儲かったから得をしたというのは、大バカな考え方です。
本当の善、得は、この世にはないのです。あるように思っていると、地獄の借りになるのです。
霊魂は命を経験しているのだという気持ちを、毎日考えるのです。そうすると気持ちが軽くなります。真剣に腹をたてたり、焼餅を焼いたりしなくなるのです。そうすると、自然に幼児のようになります。謙遜な態度がとれるようになります。だんだん般若ハラミタの上智が分かってくるのです。
霊魂は経験しているだけであって、生きているのではないのです。この世で命を経験すると、始めて本当の命を持つことを許されるのです。
本当の命を持つか持たないかは、現世での経験によってきまるのです。そして本当の命が分かった人は、生きていくのです。この世を去っても、肉体が使えなくなっても、死なないのです。往生するのです。これが本当の魂のあり方なのです。
 

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