top of page

無限に憧れる心


現在の人間は、原罪を背負い込んでいる人間であって、この世に生れてきたことが、業(ごう)なのです。生れて、ほんのしばらくの間は、業ではない命を、赤ん坊は知っているのです。無意識に知っているのです。
ところが、有意識になりますと、母親が色々のことを教えるのです。人間社会で育てられるのですから、しかたがないと思いますけれど、現世の大人の考え方が、赤ん坊に注入されるのです。その結果、魂が全部死んでしまうのです。死んでしまった人間の妄念を、赤ちゃんに教えるからです。
母親であれば、赤ちゃんを愛するから、そうなるのですけれど、その人の憎愛の念、愛情の念が、正しい愛情ではなくて、本当の仏を知らない、本当の神の実体を知らない感覚で、子供を愛するのです。
現世の社会では、やむをえないのです。しかたがないのですが、その結果、幼児に妄念が発生するのです。自我意識が発生するのです。
自我意識は、神から離れて、自分で存在する意識です。神から離れて、自分で独立して生きていると考えているのです。自分で働いて、自分が生きている。自分の命があると考えている。これが、とんでもない妄念なのです。
この状態が、魂が死んでいる証拠なのです。自分が生きているという考え方が、その人を地獄へひっぱっていくのです。
人間は、皆、自分が生きていると考えていますけれど、これは、皆様の意見ではないのです。この世の意識なのです。
現世のこの世の意識が、そのまま皆様に、乗り移っているのです。この世の意識に、乗り移られているのです。
この世にいる間は、自分が生きているという考えでもいいですけれど、この世を去ってしまいますと、自分が生きているという考えは、一切役に立たないのです。これが恐ろしいのです。
死んでからどうなるかということを、人間はまじめに考えようとしない。死んだらしまいだと考えている。そうはとんやがおろさないのです。現世でやりたいことをして、言いたいことを言って、いわゆる欲望を満足させるために生きていた。神という一番大事なことを、無視して生きていたのです。
神とは何であるか。どこに、どうしているのか。これは全く驚くべきことですが、実は、皆様の鼻から、息を出し入れしていることが、神なのです。心臓が動いているというエネルギーが、神の本物なのです。神はこんなに近くにいるのです。本物の神はあまりに近すぎて、分からないのです。
神の本物を、人間は、心臓で経験しています。ところが、神を認めようとしない。なぜか、自分が生きていると思っているからです。ここに、根本的な間違いがあるのです。そこで、どうすればいいかということです。
日本に、芭蕉という俳人がいました。彼は、「名月や池をめぐりて夜もすがら」という句を歌っています。
池に映った名月はすばらしいものです。「うつるとは月は思わず、うつすとは水は思わぬ広沢の池」という歌もあります。月自身は、池にうつると考えていません。水は月をうつそうと考えているのでもない。ところが、名月は池にうつっている。池は、名月をそのままうつしているのです。
芭蕉は、夜通し池を回って、名月から離れられなかった。なぜでしょうか。ここに、永遠の命、本当の命への入り口があるのです。
芭蕉は、残念ながら、本当の命をつかまえていなかった。彼の辞世の句は、「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」です。悲痛な俳句です。
五十年ほどの彼の人生は、何をしていたかと考えると、俳句は作っていたけれど、永遠の命をはっきりつかまえてはいなかった。しかし彼は、命の入り口を見つけていたのです。
名月の句が、なぜ命の入り口を見つけていたのかといいますと、芭蕉は名月に魅せられていたが、実は、芭蕉の潜在意識の中に、名月があったのです。彼は、空の月を見ていたのではない。彼自身の中に、名月があったのです。
なぜかといいますと、生れる前の命に関する、非常に強い憧れがあったのです。それに、無限に憧れる心、無限無窮に憧れる心が、永遠の命を求める人間の、本然の姿なのです。
彼は、名月を見た時に、生れる前の自分の命が、ちらっと見えたのです。この世に出てきて、この世の人間の中に入って、欲望で泥々にされてしまった。この思いではなくて、本当の命、名月と同じような透徹した人格、汚れを知らない本当の命が、芭蕉の潜在意識として、彼の魂にあったのです。
これが、彼の芸術心を刺激して、月の光という無心の世界に、巡り会ったのです。
大自然の命は、月の光と同じです。大自然の命は、そのまま永遠の命を啓示しているのです。これを芭蕉は、敏感に受けとめた。そこで、池をめぐりて夜もすがらとなった。どうしても、生れる前の命の輝きから、離れることができなかったのです。夜がしらじらと明けてくる時まで、月をながめて回っていたのです。
この心が、皆様に、本当の命を教えるもとになるのです。例えば、皆様が、マグロの刺身を食べるとします。マグロの刺身の味は、魚屋が造ったのではありません。天然の味なのです。
天然の味とは何か。天然とは、地球ができる前の、大宇宙の命です。地球ができる前の死なない命が、そのまま森羅万象に現れている。そこで、雪月花という風流をまじめに勉強しますと、永遠の命の入り口が分かるのです。
しかし、それだけではだめです。世界の歴史の流れを見なければいけない。今述べたのは、空間のことなのです。雪月花は空間として現れた命なのです。もう一つ考えなければならいのは、時間です。時間とは歴史の流れです。人間の歴史はどのように流れてきたのかということです。
日本人は、人間の歴史の流れを、ほとんど知りません。世界の歴史がどのように流れてきたのか。現在どのように流れているか。これから、どのように流れていくかという展望がないのです。
だいたい、地球に人間がいるとは、どういうことなのか。人間はなぜ地球上に生れてきたのか。地球とは一体何なのかということです。
宇宙の大生命が、そのまま地球に反映しているのです。天の命が地に映っているのです。これが地球なのです。
そうして、人間の歴史の流れは、どこからきてどこへ行くのか。全世界はある民族を中心にして動いている。白人と、黄色人種、黒人の三種類の民族がありますが、この民族が何をしているのかということです。
現在の人間は、未完成です。死なねばならない人間は、未完成の人間ですが、これから完成する可能性があるのです。現在のままで、自分は一人前だと思ったら、大間違いです。
未完成とは、将来完成されるということです。やがて完成されるということです。これを、神の約束というのです。
神の約束が、日本人にはどうしても分からない。日本人は、現世だけで満足しているからです。現世に生きている人間が、人間だと思っているのです。
日本人の考え方は、未来において人間と地球が大きく完成するというような雄大な世界観を持っていないのです。現在の生活が満足できればいいと考えている。
こんな日本社会が理想であったら困ります。もっと雄大な、宇宙の命をそのまま現すような大理想が、日本になければいけないのです。
日の本という国号がありますから、栄光の朝日がのぼるような思想が、なければならないのですが、今の日本人は全くだめなのです。問題にならないのです。
今までのような日本的な世界観ではなくて、全世界の歴史を貫いて考えるという思想をもって頂きたい。そうすると、初めて、神の約束が分かってくるのです。
神が万物にどのような約束をしているのか。神が人間の霊魂にどういうことを教えようとしているのか。太陽は一体何を教えようとしているのかが、分かってくるのです。
イエスは、太陽が教えていることを、そのまま生活しました。すべての人は死んでいるが、彼だけは、死なない命を生きていた。その結果、見事に死を破ったのです。
この大工の青年の生き方を勉強しますと、皆様の心に正しい朝が訪れます。イエスの生き方を勉強しますと、現世から出て生きることが、充分にできるのです。
駆け引きをしなければ生きていけないとか、嘘をついたり、おべっかを言わなければ生きていけないとかいうことを考えるのは、日本社会に頭をつっこみすぎているからです。
本当の命を生きたいという願望があれば、必ずそれに対して神からの助けが加わるにきまっているのです。
神からという言葉を使いますと、宗教くさくなりますが、私がいう神とは、皆様の目が見えることなのです。心臓が動いていることが神なのです。地球が自転、公転していることが、神なのです。この神をつかまえるのです。
人の理性と良心は、無限の能力を持っているのです。イエスは死を破ったのですが、それを勉強しないからいけないのです。
私がいう勉強は、毎日まじめに生きることです。まじめにご飯を食べるのです。まじめに魚を食べるのです。真面目に野菜を食べ、真面目に果物を食べるのです。
ご飯の味とは何であるか。魚の味は何かが分かってきますと、初めて、自分の魂の能力に驚くことになるでしょう。そうすると、イエスの生き方がだんだん分かってくるのです。
イエスは神と一緒に生きていたのです。
皆様の心臓が動いていることは、皆様も神と一緒に生きているのです。これをインマヌエルルというのです。皆様は、現に、神と一緒に生きていながら、神も命も分からずに死んでいくとは、何という愚かなことでしょうか。こういう無駄死、犬死を絶対にして頂きたくないのです。
本当の命を知るとは、本当の神を知ることなのです。一所にいる神をどうしても捉まえなければならないのです。
聖書を理屈で勉強するのではなくて、命をしっかり掴まえるような、神の実物を掴まえるような勉強をして頂きたいのです。
人間が生きているのは、神と一緒にいるのです。一緒にいる神が、じっと見ているのです。神にいつ気がつくかと、じっと見ているのです。神は皆様と一緒に生きています。人は神と共にいる。インマヌエルの状態にあるのです。それにいつ気がつくかと、気長に見ているのです。
生きていることは、神そのものです。神の実物が、皆様の霊魂と一緒に生きている。だから、丸いものが丸い、甘いものが甘いと分かるのです。五官の働きは、そのまま神の実物になるのです。
死なない命を掴まえるためにどうしたらいいのか。前世に生きていた自分を引っ張り出せばいいのです。前世に生きていた自分というのは、五官の働きです。五官の働きの自分を引っ張り出せばいい。これがリビング(living)の実体です。死なない命です。これを受け取ることが、リビングのシールを受け取ることです。生ける神の印を受け取るのです。
赤いものを見て、赤く感じることが、皆様が生きている証拠です。これが神です。神はここにあるのです。
 

 

bottom of page