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本当の霊


日本人が霊という言葉を使うのは、新興宗教のような感覚で見た場合の言い方です。
現在の人間が肉体的に生きているのは、肉の命です。ところが、命の本質は霊です。たとえ肉の命で生きていても、その人の命の本質は霊です。
霊というのはこういう意味で使うのが本当で、人間は肉体的に生きていることを経験しています。これが、人間の考えるこの世の命ですが、霊というのは命の本質なのです。
例えば心臓が動いています。心臓が動いているということが霊なのです。人間の肉体は細胞が集まってできていますが、細胞が集まって生理機能として働いている事実、この事実を私達は命として経験しているのです。この細胞が働いているということが、霊なのです。
細胞が働くという事実はどこからきているのか、なぜ細胞がそのように働いているのか。例えば、目で物を見る場合、目の細胞が働きます。胃腸が働いて消化する場合は、胃腸の細胞が働きます。
目の機能と消化吸収の機能とでは、機能が違うのです。人間の肉体ということになりますと、呼吸機能、消化吸収機能が一つになって、健康という状態で現れています。問題は、そういう生理的な合理性がどうしてできるのか。これが霊なのです。この説明は学問で
はできないのです。
消化機能だけの説明なら医学でできます。ところが、消化吸収機能、排泄機能、呼吸機能全体が働いて、しかもそれが心理機能にまで影響がある。そういう全体の機能がどうしてできているのか。人間ができている原理は何なのかということになると、医学では全然説明ができないのです。これが霊なのです。
さらに、地球がなぜできたかという根源的な問題になりますと、皆目分からないのです。地球がなければ、人間も動物もあるはずがないのです。地球は四十五億年前にできたと言います。しかしなぜ地球ができたのかという説明は、科学ではできないのです。
唯物論者は、人間は偶然にできたのだと言います。人間は偶然に生きているという説明は、人間についての完全な説明にはならないのです。
人間が偶然に生きているのなら、法律や道徳は必要がないのです。しかし、法律や道徳をつくらないと、人間社会が成立しないのです。マルクスの理屈はそこで行きづまってしまうのです。マルクスはユダヤ人でしたから、本来ならこんなことは言わないのです。ユダヤ人というものの中にも色々な人間がいますが、マルクスのようなユダヤ人ばかりではないのです。
現在、肉体的に生きているということが、人生の目的だという考え方が、最近の人間の考え方になっていますが、これはユダヤ人のトリックなのです。すべてのユダヤ人がマルクスの思想を信じているかというと、そうではないのです。共産主義を展開し、宣伝したマルクス自身が、共産主義を信じていなかったのです。レーニンも共産主義者にならなかったのです。ユダヤ主義者だったのです。共産主義を利用して、革命をしただけなのです。
世界政治の中にはこういうトリックがあるのです。
世界の異邦人はユダヤ人によっていいかげんにあしらわれているのです。手の上のダンゴを転がすようにされているのです。こういうことをよく承知して、命を正確に考えるようにして頂きたいのです。
酸化しつつ、老化しつつ、物が存在するという事実は、物が存在するのではないということです。スチール製の机は、風化するのに時間がかかります。ところが、花は非常に早く老化します。一週間もすれば、姿、形はかなり変わってしまいます。
花が咲くというのは、地球の命が咲くという形で現われているのです。土の命を花がすいあげて、咲くという状態で現われている。では命とは何かと言いますと、風化しながら命が現われていることになります。風化というのは、物理的なものですが、命というのは宇宙生命に関する真実なのです。
一体地球というものがあって、花が咲いたり、鳥が飛んだり、雨が降ったりしている。こういう現象がなぜあるかということです。
宇宙には、命という大きいものが、輪廻しているのです。私たちは命の輪廻を、70年、80年の間、経験しているのです。経験している間に命の本質をつかまえることができると、その人は死ななくなるのです。
イエスは命の本質をつかまえていたので、死を破った。死んでから三日目に復活したのです。現在もなお、生きているのです。
人間の命は、生きている間だけではないことを、イエスが証明したのです。イエスが証明しなくても、私たちは生まれて24時間以内に、母親のお乳を飲んだという事実があるのです。これは生まれてくる前の生、前世があることの証明になるのです。
そのように、人間の命は、一度この世に生まれてきて、命を経験したら、その命から離れることができなくなるのです。この世で、二十年、三十年生きていた人は、命とその霊魂が結びついているからです。
生きていたこと、又生きていることが霊なのです。人間の心臓が動いていることが霊です。目が見えることが霊です。これは宗教でいう霊とは違います。神の霊に結びついた考え方で見た霊なのです。
花は肉なるもの(現象)ですが、花が咲いているという事柄が霊なのです。目は花という霊を見ているのです。
魂というのは、五官の機能の働き、又は物を考える力です。心理機能、生理機能が魂なのです。生きているという事柄が霊です。
仏教には魂という言葉がありません。仏教は、現実に生きている人間をつかまえて、そのまま説明しないのです。人間が生きている状態を、人間の立場から、十二因縁、四諦八正道という言い方で説明しているのです。これが仏教の唯識論です。
人間の霊魂が命を経験することになりますと、霊魂と命が一つになってしまうのです。そこで、命とは何かを自分で勉強しなければならないことが、人間がこの世に生まれてきたことの絶対的な責任なのです。これをしませんと、魂が審判されなければならないことになります。
誰でも、それができるだけの力を持っているのです。花を見ればきれいだという気持ちがします。花を見てきれいだと思える人は、その人の目が霊を見ているのです。霊というものの美しさを受け止めていることになるのです。
花の美しさが分かるということは、その人の霊が正当な力を持って働いていることになるのです。それができる人は、死なない命を見つけることは必ずできるのです。できるはずなのです。
花の美しさが分かるということは、その能力があることが証明されていることなのです。花を育てて、咲かせているのは、商売人がしているのでしょう。しかし、商売人は、花を育て、世話をしただけなのです。花そのものを製造したのではないのです。
花が咲いているのは、自然現象です。宇宙の命が、現象として現れているのです。宇宙の命というのは、神の命なのです。この神は、日本の神ではなく、天地を造った神なのですが、その命が花の形で現れているのです。神の命の美しさを、花の形として見ているのです。
魂は、神のやり方を正しく受け取るだけの能力があるのです。花の美しさが分かれば、もう二、三歩前進すると、死なない命が分かるのです。これをしようとしないのは、人間の責任なのです。
死なない命を掴まえるためにどうしたらいいのか。前世に生きていた自分を引っ張り出せばいいのです。前世に生きていた自分というのは、五官の働きです。五官の働きの自分を引っ張り出せばいい。これがリビング(living)の実体です。死なない命です。これを受け取ることが、リビングのシールを受け取ることです。生ける神の印を受け取るのです。
赤いものを見て、赤く感じることが、皆様が生きている証拠です。これが神です。神はそこにあるのです。
聖書を理屈で勉強するのではなくて、命をしっかり掴まえるような、神の実物を掴まえるような勉強をして頂きたいのです。
人間が生きているのは、神と一緒にいるのです。一緒にいる神が、じっと見ているのです。神にいつ気がつくかと、じっと見ているのです。神は皆様と一緒に生きています。人は神と共にいる。インマヌエルの状態にあるのです。それにいつ気がつくかと、気長に見ているのです。
生きていることは、神そのものです。神の実物が、皆様の霊魂と一緒に生きている。だから、丸いものが丸い、甘いものが甘いと分かるのです。五官の働きは、そのまま神の実物になるのです。

日本人は命を非常にそまつにする国民です。欧米人はもっとひどいかもしれません。日本人は、分からないけれども、般若心経を読んでみようという気持ちがあるからまだいいのですけれども、今の世界の人々は、ユダヤ人のトリックにひっかかって、この世で生活していることだけが命だと思いこんでいるのです。
この世で生きていることだけが命ではありません。生まれてくる前の過去世もあったし、現世を去った後の来世もあるのです。現世を去れば、いやでも来世へ行かざるを得ないのです。
常識が通用するのは、現世だけなのです。来世では常識は一切通用しません。ところが、人間は科学や宗教が来世でも通用すると考えています。これはとんでもない考え違いなのです。
空が分からない原因は、現世の常識を信じすぎているからです。冷静になれば、空くらいのことは誰でも分かるのです。釈尊は大学へ行っていません。大学へ行かなかったから分かったのです。仏教大学は何も分かっていないのです。
色即是空というのは理屈ではありません。悟りです。具体的な命の光なのです。これが分からなければ、命をつかまえることはできません。
現在の人間の常識が空であることが分かりますと、命をつかまえることができるのです。命の本質の中へその人の命が入っていきますと、死ななくなるのです。
イエスという人が、それを実験したのです。歴史的に証明したのです。だから、イエスが死を破ったという歴史的事実を学の対象にすると、人間の歴史が根本からひっくりかえってしまいます。死なない命が、生活の表面に現れるようになってくるのです。
人間の根本的な考え違いを是正するのが、空観なのです。人間の考えは、学問でも常識でも、すべて間違っています。五蘊皆空というのは、それを言っているのです。空が分からないのは、現代人の意識にこだわりすぎているからです。まず空を悟ること。そうすると実質としての霊が分かってくるのです。
死なない命を掴まえるためにどうしたらいいのか。前世に生きていた自分を引っ張り出せばいいのです。前世に生きていた自分というのは、五官の働きです。五官の働きの自分を引っ張り出せばいい。これがリビング(living)の実体です。死なない命です。これを受け取ることが、リビングのシールを受け取ることです。生ける神の印を受け取るのです。
赤いものを見て、赤く感じることが、皆様が生きている証拠です。これが神です。神はここにあるのです。
 

 

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