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霊魂不滅の実証


日本人は、魂が全く分からない民族です。儒教にも魂という言葉はありません。仏教にもないのです。
 常識的な意味で、霊魂という言葉は使います。ところが、大乗仏教17600巻と言われる経典の中に、魂という文字が一字もないのです。魂に匹敵する考え方はあります。たとえば、観自在菩薩の自在という言葉が、魂に匹敵すると解釈できるかもしれません。しかし、霊魂という言葉はないのです。
 従って、魂というのは、日本の常識的な意味での習わしになっています。霊魂不滅という言葉なども、常識的な言い方でありまして、仏教の言葉ではないのです。神道でもないし、儒教の言い方でもないのです。そこで、魂とはどういうものか分からないです。
 聖書には、魂という言葉が何回も使われています。キリスト教の牧師は魂という言葉を使ってはいますけれど、具体的な意味で、魂とは何かということを、説明できないのです。
 なぜそういう事になったかと言いますと、神学校でキリスト教の教義を習ってくるからです。その説明を教会でしているのです。宗教教義というのは、すべて人間がつくった理屈です。人間がつくった理屈では、魂の実体は分からないのです。
 聖書をキリスト教の立場からだはなく、命の感覚どうりに見ていきますと、魂ということが分かるのです。普通の宗教がいう魂と、聖書がいう魂とは、全然違います。
 聖書に、神という言葉があります。これが分からないのです。神学校で神を正しく教えないのです。ただ神を信じなさいと教えるのです。信じれば分かるという言い方が、宗教なのです。これは宗教の理屈です。
 神とは何かと言いますと、現在皆様の目が見えること、心臓が動いていることです。人間が信じても信じなくても、人は神の中で生きているのです。
 人間は死んだらどうなるのか。この世を去って、黄泉に行きます。黄泉というのは、眠っている場です。眠っている霊魂は、必ず目を覚まします。その時、本当の神が目の前にいるのでびっくりするのです。それから魂の苦しみが始まるのです。
日本人は命のことが分からない。魂のことを知らないのです。神と人間との生命を比べてみると、魂という語法が生まれてくるのです。魂は、神から見ると神の子みたいなものです。この魂が死なないということを、ナザレのイエスが証明したのです。これが霊魂不滅の典型的な実証です。
彼は死を破った。日曜日は、イエスが死を破った記念日なのです。これが一週間に一度ずつ来るのです。一年間に五十回もあります。ところが、キリスト教では、日曜日ということさえもはっきり説明しないのです。
キリスト教では、日曜聖日と言います。一体、イエスがどうして死を破ったのか。復活とはどういうことなのか。これが分からないのです。キリスト教では、復活を信じればいいと言います。信じるだけの説明ができないのです。
信じるとは、精神状態を変えてしまわなかったらできないのです。今の人間の心境では、神を信じるということはとても不可能です。できるはずがないのです。だから、般若心経
にありますように、五蘊皆空を悟って、自分の考えが間違っていることに気づいた人は、初めて魂の目を開くことができるのです。魂の目を開かなければ、神とか仏は分からないのです。
仏とは、空を認識することを言います。空を認識しますと、今までの自分自身の生活が嘘であったことが、はっきり分かります。つまり、人生を空じることができるのです。
ところが、日本の仏教では、人生を空じることをしますと、仏教の寺そのものを空じてしまわなければならなくなるのです。金蘭の袈裟をかけて、赤い衣を着ていることが、嘘になってくるのです。
そこで、般若心経を文字通り認識することを、仏教ではためらっているのです。般若心経を、宗教宣伝の道具に使っています。宗教観念を養成する道具に使っていますが、本当の五蘊皆空を恐れているのです。
本当の空とは、現在の人間の命は死ぬ命だということです。これが空なのです。死ぬに決まっている命を、自分の命にしていることが空なのです。この点を冷静に判断して頂きたいのです。
人間の常識は、肉体的に人間が存在することを前提にして、成立しています。これを、般若心経で言いますと、色即是空になります。肉体は色です。肉体で生きている自分というのは、一つの迷いだということになります。
肉体はないけれども、人間の魂はあるのです。現在、人間は魂として生きているのです。魂として生きていることが、神を生きているのであって、神という言葉と、命という言葉はほとんど同じようなものなのです。
そのように、人間は現在神を経験しています。命を経験しています。しかし、神、命を認識することができない常識を持っています。人間の常識は命を反発しているのです。正反対になっているのです。そこで困ったことになるのです。このことを般若心経は色即是空と言っています。肉体は色です。肉体で生きている自分というのは、一つの迷いだということになります。
人の霊魂の本質は五官です。五官は花の美しさを見ることができます。大空の色を見ることができます。天地自然の色を見ることができる能力性を魂は持っています。ところが、人間の常識はそれを受け止める力を持っていないのです。常識と魂とは、二律背反になっているのです。そこで死んだらどうなるか分からないのです。
人間は、生きていながら命が分からない。現在、命を経験していながら命が分からない。分からないのは、常識が間違っているからです。命の方は間違っていないのです。五官は非常に正確に働いていて、神の処置に従って目が見えるのです。神の処置に従って心臓が動いているのです。これが人の命です。
その命を経験しているけれど、命の本質をつかまえることができない。なぜか、常識が邪魔をしているからです。
 

 

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