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極楽へ行って何をするのか

 

般若心経には、永遠の真理をつかまえる入口が、示されています。中国、韓国、ミャンマー、タイに、仏教はありますけれど、般若心経を勉強しているのは、日本だけなのです。日本人も、般若心経を愛しているけれど、その真意をつかむほど、深い理解はしていません。形式的に勉強をしているだけです。
テレビのドラマの葬式の場面に、般若心経がよく出てきますが、日本人としては、般若心経から聖書に入っていくことが、一番よいと思います。
基本的に承知して頂きたいことは、現在の人間の世界観、価値観、人生観は、現世に生きている人間の物の見方でありまして、知らず知らずのうちに、ユダヤ主義になっているのです。
これは、誰がいいとか、悪いとかいう問題ではありません。一応日本が発達していく過程で、ユダヤ的な色彩にならなければ、世界とのつきあいができなかったのです。国家経営としてはそれでいいのですが、霊魂の問題は、ユダヤ主義ではとうてい解決はできないのです。
霊魂は、日本でも、韓国でも、アメリカでもないのです。霊魂は、世界中に一つしかないのです。一種類です。白人も黒人もないのです。
まず、霊魂としての自覚を持って頂きたいのです。人間としての常識と、霊魂としての自覚とは、違うのです。これを考えて頂きたいのです。
ユダヤ人は、現在の所、霊魂のことを考えさせないように、現世の人間主義的な文明の方だけに、目を向けさせようという、一種の陰謀のような文明政策をとっているのです。これが、ルネッサンス以降の、非常に悪い、文明傾向です。原子爆弾を発明したことが、文明の悪さを決定的にしたのです。
文明の悪さを、あれこれと言うよりも、本当の命を勉強したいと考えるのなら、現世に生きているのが、人間ではないことを、まず知るべきです。
生れてきたという言葉がありますし、死んでいくという言葉があるのです。生れてきたというのは、どこかからきたのです。死んでいくというのは、どこかへいくのです。この言葉に、人間の魂の本来あるべき姿が、単純に言われているのです。
この世に生きていることだけが、霊魂とは違うのです。死んでから後も、霊魂は存在しているのです。だから、葬式をするのです。現世に生きていることはしかたがないが、生きていることだけが、自分ではないと考えて頂きたい。これが、業(ごう)を果たす考え方の、基礎になります。この世に生れてきたのが、業なのです。生れてきた目的を果さないままで死んでしまいますと、ひどいことになります。
仏教では、阿弥陀如来を信じれば、仏国浄土へ成仏するといいます。もし、信じなければ、どうなるかです。福沢諭吉が、死んでいく時、坊さんに、西に向って手を合わせ、ナムアミダブツと言いなさいといわれたのです。
福沢諭吉が、極楽へ行って、何か仕事があるかと聞いたら、極楽に仕事はない、安楽往生した所に、仕事はないと坊さんがいったそうです。福沢諭吉は、仕事がない所へ行くのは困るから、極楽行きはごめんこうむりたいといったということです。
仏教が言う極楽は、人間が造った安楽浄土であって、神が造った安楽浄土とは違うのです。神が造った安楽浄土は、仕事がたくさんあるのです。この世を去ってから、本当の仕事があるのです。膨大な宇宙を管理するというこ、大仕事があるのです。このことが、目の黒いうちに、分っていなければだめです。死んでからの、自分の責任があるのです。ぼやぼやしておれないのです。
実は、この世を去ってからが、本当の命なのです。これが分らないと、語るに足らないのです。この世に生きているのが人間だという、うすっぺらい感覚ではだめです。
人間がこの世に生れてきたのは、永遠の命を勉強すると同時に、この世を去ってから、どういう仕事があるかを勉強するためです。
地球は、どのように変化していくのか、宇宙の永遠に関することが、聖書に書いてあるのです。そういうことを学ぶことが、人間の目的なのです。
浄土は、あります。しかし、仏教で言っているようなものとは違うのです。別の形であるのです。
現世の命は、仮の命ですから、色即是空で充分なのです。究竟涅槃で充分です。本当の命は、イエスの復活の命です。これは、人間歴史の唯一の秘密です。この秘密が分らなければ、本当の命は分りません。
イエスが死を破ったのは、歴史的事実であって、人間は死ぬべきものではないことが、証明されたのです。これが、西暦紀元の始まりなのです。
イエスが復活したことを本当に知るためには、現世に生きている人間の常識を、解脱してしまわなければなりません。現世に生きているままの感覚では、イエスの命を受けとることは、絶対にできないのです。
ですから、般若心経によって、現世を解脱することです。現世に生きていることが悪いのではありません。大いに生きなければならないのです。一杯飲みながら、命は自分のものではないということを、はっきり経験して頂きたいのです。
 

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