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矛盾しすぎている現世

 

私たちは、今生きていますが、生きていることに何とか結末をつけなければならない責任があるのです。
この世は非常に矛盾しています。政治が矛盾している。経済の状態が矛盾している。世間の常識が矛盾しているのです。真面目に働いている人々が一向に恵まれない。それなりの待遇を受けないままで死んでしまう人が相当いるのです。
その反対に、大した力がないのにちょっと生まれ性が良かったために、金持ちの家に生まれたために、賛沢な生活をしている人が随分いるのです。
株で儲けるとか、土地で儲けるとか、スポーツ選手、俳優といった人々は必要以上に評価されているのです。ところが、必要以下にしか評価されない人々がたくさんいるのです。勤労者とか労働者とかいう人々が、そういう人々なのです。
現世は非常に矛盾した不平等なものです。誰がいいのか悪いのか、善とは一体何なのか、悪とは何であるか、そういうことが分からないままの状態で、皆様は何十年も生きていらっしゃったのですが、私たちは生きていることについて、何かの結末をつけなければならない責任があるのです。
ほとんどの人は結末をつけないままで、この世の常識を持ったままで死んでいくのです。この世の常識を持ったままでこの世を去ることになりますと、困ったことになるのです。その人は自分の人生に結末をつけないままでこの世を去ったのですから、その結末をどうしてつけるかという問題が残るのです。
この世は間違っています。実は皆様方自身も矛盾しているのです。世間が間違っているということは、間違っている世間に住んでいる人が間違っていることになるのです。そこで世間の常識を持ったままで、何十年もこの世で生きておいでになった記憶を持ったままで死んでしまいますと、困ったことになるのです。
この世は間違っています。間違いだらけです。間違いだらけの世の中で生きていて、間違いだらけの記憶を持ったままでこの世を去っていくことになりますと、結末をつける時に困るのです。
生きていたのは皆様方自身ですが、生き方が間違っていたために、本当の命が何であるかがはっきり分からないままでこの世を去ってしまいますと、皆様方の霊魂が責任を取らなければならないことになるのです。
人間は死んでしまえば終わりですが、霊魂は死んでしまえないのです。肉体は火葬場で焼いてしまえば灰になりますが、皆様方がこの世に生きていたという記憶は、灰になりません。
皆様がこの世に生きておいでになったのは、この世を経験をしていたのですが、それが霊魂として残っていくのです。生きているのは肉体の人間ですが、これは心臓が止まればそれで終わりです。肉体人間が生きていたことは、矛盾だらけの世の中で矛盾だらけの生活をしていたので、その矛盾だらけの記憶をそのまま自分自身のものとして死んでしまいますと、その責任を負わなければならないのは皆様の霊魂です。
人間と霊魂は別のものです。よく似ているところもありますが、実は違います。大乗仏教は霊魂の説明をしません。実は他力本願では霊魂の説明をしているのです。例えば仏説阿弥陀経とか、大無量寿経には霊魂の説明はあるのですが、現在の僧侶はそれを理解していないのです。霊魂とは何かという説明が仏教ではできないのです。釈尊も龍樹もしていません。
道元禅師、親鸞上人は宗教改革時代の日本から出た傑物です。非常に真面目で真剣な人ですが、霊魂の説明を一言もしていません。しかし人間には霊魂があるのです。
なぜそうなるかと言いますと、日本には仏教という宗教はありますけれど、仏法という悟りはないのです。仏法は悟りそのものです。これが釈尊の本当の気持ちです。これが般若心経に要約された形で端的に出ているのです。
般若心経の中に究竟涅槃という言葉があります。究竟とは突き止めることです。涅槃とは人間が消えてしまうこと、空になってしまうことです。これが般若心経の目的になっています。
これが般若心経の中心テーマなのですが、これは現在の人間の考えが間違っているので、消えてしまわなければならないと言っているのです。人間自身が消えてしまうことを意味するのです。
例えばローソクの火が風に吹かれてふっと消えてしまうような状態を、涅槃というのです。これが釈尊の本当の悟りですが、これを正直に説いている寺は日本にはありません。消えてしまう人間のことばかりを、考えているのです。例えば死んでから極業へ行くとか、現世で幸福になれるとか、生きている人間を認めて、生きている人間の信心を勧めている。これは仏教であって仏法ではないのです。
本当の仏法は釈尊の悟りから考えますと、今の寺の説法とは全く関係がないものになります。究竟涅槃から考えますと、現在の日本の各宗派の教えはどれもこれも皆間違っていることになります。
仏教はどういうものかと言いますと、例えば日蓮宗は日蓮上人の悟り、教えによってできているのです。浄土真宗は親鸞の教えです。浄土宗は法然上人の教え、真言宗は弘法大師の教えです。これはすべてお祖師さんの宗教でありまして、釈尊の教えではありません。仏法は釈尊の悟りです。
仏教はお祖師さんの教えです。これは仏法とよく似ているところもありますが、仏教はどこまでも仏教であって、仏法は悟りそのものです。
人間が空であることが仏法の中心テーマです。般若心経はそれをずばりと言い切っているのです。
どんなお経でもすべて経文の一番最初に、如是我聞という言葉があります。我かくのごとく聞いたという言葉が、すべての経文の一番最初にあります。阿弥陀経、大無量寿経、観無量寿経、法華経にも如是我聞があります。
如是我聞がないお経は般若心経だけです。般若心経は、初めから観自在菩薩行深般若波羅密多と言っているのです。ここには如是我聞という言葉が全然ありません。
如是我聞というのは、釈尊の教えを私はこのように聞いたと言っているのです。ところが般若心経は如是我聞と言っていません。ですから般若心経は釈尊の教えがそのまま現われていると言ってもいいでしょう。これが本当の人間だと言っているのです。
皆様に本当の自分をつかまえて頂くためには、三つの難関を通って頂かなければならないのです。
第一は、皆様は日本人として生きておいでになったということです。そのために日本社会の物の考え方が、皆様の頭に染み込んでいるのです。五十年、六十年かけて皆様は日本人の癖ばかりを勉強してきたことになるのです。好むと好まざるとに係わらず、日本の常識に絡められてしまったのです。これはしかたがないことですが、この間違いを捨ててしまわなければならないのです。
日本人であるという考えを持ったままでは、本当の命は分かりません。例えば親鸞上人は日本人という考え方をしていなかったのです。道元もそうでした。弘法大師もそうでした。日本人の常識に縛られていますと本当の命は分かりません。
日本人の常識は日本に生きている間だけは通用します。皆様がアメリカに行ってお住みになりますと、日本の常識は通用しなくなるのです。命という点から言いますと日本の常識は間違っているのです。そういう考えが皆様を束縛しているのです。
第二の考え違いは、現代文明に毒されているということです。基本的人権という考えがそれです。現世で生活していくためには生活する権利があるというのです。この考えは現世に生きててる人間から考えれば当たり前と言えるのですが、基本的人権という思想のために魂が歪められているのです。
なぜかと言いますと、基本的人権という考えは人間の生活だけしか見ていないからです。霊魂のことは一切見ていません。この思想が現代文明の生活的な考えでありまして、非常に悪い思想なのです。
権利というのは、それに相当する義務、責任を履行することによって発生するのです。例えば、ゴルフ場でゴルフをしたければ、会員権を購入しなければならなのです。レストランで食事をしたければ、代金を支払うという義務が生じます。いくら生きる権利があると言っても、義務を履行しなければ、誰も認めてくれないのです。
基本的人権という絶対的な途方もない権利があるとすれば、当然それに見合うだけの義務、責任を果たさなければならないのに、学校ではその義務、責任を正しく教えない。その結果、自分さえ良ければ、他人はどうでもいいという考えが横行し始めた。やがてこの考えによって、人間社会が崩壊することになるでしょう。
現代文明は一部の悪いユダヤ人が造った文明です。大部分のユダヤ人はこれに迷惑しているでしょう。ユダヤ人が造った文明にはユダヤ的な悪さがそのまま現われているのです。
現代文明は現世に生きている人間を絶対だと考えている。これが基本的人権です。学校に校内暴力が 家庭には家庭内暴力があります。政治的には核兵器の問題があります。現代文明には枚挙にいとまがない程、多くの問題を内包しているのです。
これはすべて基本的人権という思想からきているのです。こういう考え方を現代人は無意識に受け取っているのです。無批判に受け取っているのです。これは現世に生きている人間のことだけを考えているのです。民主主義という概念は、現世に生きている人間にしか通用しない考えでありまして、皆様が現世を去ってしまいますと不平等なこと、間遠っていること、矛盾していることが皆様の霊魂にのしかかってくることになるのです。
現世の常識や知識は現世でしか通用しません。宗教も現世だけしか通用しないのです。釈尊の悟りはそうではありません。現世を去っても通用するのです。
すべての人間はやがて現世を去る時が来ます。そこで命の勉強がどうしても必要です。魂とは何であるかということです。これをどうしても見極めなければならないのです。
日本が世界第二位の経済大国になってから、考え方がユダヤ主義的になっているのです。これは白人文明の中心思想です。白人社会の中にいる一部の悪いユダヤ人が、経済的な考え、社会主義的な考え、又資本主義的な考えを全世界にばらまいて、それが現代文明になって現われているのです。皆様は意識してもしなくても、現代文明の完全に犯されているのです。
ただ一つ日本人の良い点は教育ママという考え方です。これは全くのユダヤ主義ですが、現世に生きている間は勉強しなければならないという考え方は、ユダヤ主義の良い点です。
悪い点があります。自分が生きているという考えです。命は自分のものだと思い込んでいるでしょう。命はなぜ皆様のものでしょうか。命が皆様のものだという正当な理由はどこにあるのでしょうか。これが間違っているのです。これはこの世に生まれた人間の業です。業によって、自分が生きていると思い込んでいるのです。
皆様はこの世に生まれたという業、日本人であるという業、現代文明の中で生きていると言う業を背負い込んでいるのです。般若心経を正しく勉強しますと、この三つの業が消えてしまうのです。そうすると皆様は本当の霊魂に帰ることができるのです。これを般若ハラミタと言うのです。向こうの岸へ渡ってしまうのです。これが般若ハラミタです。今までの自分の考えを問題にしないのです。
般若心経は五蘊皆空、色即是空と真っ向から空を提示しているのです。押しつけているとさえ言えるのです。人間の人生観は全部間違っているから、捨ててしまえと言っているのです。間違っている世間並みの常識を持ったままでこの世を去りますと、必ず霊魂が裁かれからのです。
現世で自分の業を果たしてしまうのです。業を果たすとはどうすることかと言いますと、自分がこの世に生まれてきたということを捨ててしまうことです。自分の命があるという考えを捨ててしまうのです。
自分の気持ちを捨てても、生きていることはなくなりません。むしろ自分目身の妄念、常識を捨ててしまうことによって、自分の命がはっきりしてくるのです。今までの常識を握り込んでいるために、自分の命がはっきり分からないのです。
宗教を信じることをやめるのです。常識を信じていることをやめる。自分自身の思いを信じることをやめる。そうすると誠の命が分かってくるのです。
 

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