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先天性

 

人間の魂は、機能です。心理機能の中心的な働きは、理性と良心です。理性と良心は、人間が持って生れた先天性のものです。本具の自性という言葉がありますが、これは、本来の自性という意味なのです。
見る力の原理、食べる力の原理、いわゆる機能性の原点は、本具のものなのです。本来備わっているものなのです。これが、現在の人間の魂の本性になって、肉体的に現われているのです。
生きていることは、一つの結果です。結果論的なものがあれば、原因がなければならない。生れる前の人が、なければならないのです。
これは、輪廻転生ではないのです。生れる前の人は、今の人間が意識することも、認識することもできませんし、人間として生れる前に、どこかにいたというのとは、違うのです。こういう考え方は、宗教観念でつくりあげた思想なのです。
現在の命を、ていねいに扱わなければならない。現在の命を忘れて、命はどこにもないということを、承知する必要があるのです。命は、一度だけです。生れ変る必要はないのです。輪廻転生は、宗教観念なのです。もう一度生れることができると考えますと、現世に対する認識が、どうしても軽くなってしまうのです。
もう一度生れるチャンスがあるとすれば、その時やればいいという無責任な人生観を持ってしまうのです。これが、輪廻転生という考え方なのです。
命は、一度しかない。今生きていることが、真剣勝負なのです。これを軽く見ることは、宗教観念の悪さなのです。
聖書によりますと、魂は、生ける神の子になるのです。五官の本源になる情操、見る力、聞く力、味わう力、物を言う力の機能性は、自分の力で造ったものではありません。神からのものなのです。
いわゆる本具の自性なのです。神からのものは、本来死なないのが、あたりまえなのです。死ねないものなのです。
そこで、今生きている生命状態を正しく認識しさえすれば、生ける神の子であることが分るのです。イエスは、自分のことを、生ける神の子といっているのです。イエスと同じ人生観を持つことは、人間としてあたりまえなのです。そう考えない方がまちがっているのです。
素直に考えることが、できればいいのです。現在の文明意識に毒されないで、あるがままの自分を、あるがままに見ていこうという気持ちがあれば、自分が生きていないということぐらいは、誰でも分るのです。
イエスが、どんな気持ちで生きていたのかさえ分れば、彼が死を破った気持ちが、すぐ分るのです。魂が死ぬべきものではないことが、すぐ分るのです。
人間は、この世の知恵、知識に、騙されているのです。文明意識によって、束縛されているのです。例えば、人間は、自分が生きていると勝手に思っています。これがまちがっているのです。自分が生きていると思っている人は、必ず死にます。命を正しく捉えていないのですから、必ず死にます。死ぬだけではなくて、あとからが、恐ろしいのです。
人は、天然の命を預けられているのに、自由意志に従って、欲望主義によって人生をおくったとしますと、後から、高い税金がかかってきます。これが、こわいのです。これは、あたりまえの結果なのです。
人間は、自由意志に基づいて、衣食住を決める特権を与えられているのです。動物にはないような味の感覚、においの感覚、物を考える機能を与えられている。動物では考えられないような貴重な精神的な経験を、何十年もしているのです。これは、魂が、生ける神の子である証拠なのです。
それを正確に認識しないと、それに対する税金がかかるのは当然なことです。
本来、魂は、死ぬべきものではない。神の子だから、死なないのがあたりまえです。死んでしまうと思うのは、考え方が間違っているからです。
聖書に、肉の思いは死である。霊の思いは命であり、平安であるという言葉があります。肉の思いから、霊の思いへ切り替えてしまえば、死ぬことから、決定的に逃れられるのです。死から命へ、引っ越しできるのです。そうすると、死なない命がはっきり経験できるのです。

 

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