top of page

霊とは何か

 

人間は毎日、新しい命を経験しています。ところが、新しい命を経験していながら、自分の気持ちが古い経験に基づいているのです。
今日は、今日という新しい命なのです。人間は今日の命を経験していながら、昨日の意識で生きています。これが間違っているのです。
魂の目を開くのです。魂とは、人が肉体的に生きている状態です。肉体的に生きているというコンディションが魂です。コンディションということが、現在の唯物主義、物質主義の感覚では分からないのです。
現在、自分でコンディションを経験していながら、分からない。コンディションを経験している状態が、本当の生、聖書で言うと、霊なのです。これは、新興宗教の霊友会とか霊法会等で言う霊とは違います。日本人が考えている先祖代々の霊とも違います。
本当の霊とは、太陽が輝いていること、地球が自転、公転していること、人の心臓が動いていることです。この霊を命の基準にすることです。そうすると、生が分かるのです。
生きるということは、霊の働きです。肉体が生きていること、肉体的に精神が作用していること、肉体的に五官の働きとして生きていることが、魂です。この魂の目を開くと、永遠の命が分かってくるのです。
花を見ると美しいことが、誰にも分かります。花を見て美しいと思えることが、魂の命になっているのです。美しいということが、キリストの命の反映になっているのです。だから人は、自分の行いとか身なりを、美しく見せようという気持ちが、本能的にあるのです。 
本当の正しさは、美しさと大きな関係があるのです。俗に、初物を食べれば、七十五日命が伸びると言います。旬の初物を食べると、おいしいと思う。おいしいと舌で感じることは、その人の魂の未来の命に、大きい係わりがあるのです。七十五日命が伸びるのではありませんが、おいしいとか、美しいとか、気持ちがいい、楽しい、うれしいと感じることが、そのまま、永遠の命の入口になるのです。
ところが、今の文明は、欲望を果たすことばかりしている。欲望による満足を果たそうとすることは、逆に、自分の魂を殺すことになるのです。魂を殺す生き方と、魂を生かす生き方とがあるのです。
こんなことは、学問では教えないのです。実は、これが本当の学なのです。本当の学とは、人間存在の本質にかかわる認識のことです。これをイエスは教えているのです。そうしてキリストになったのです。
キリストとは、世界全体を完成する責任者のことです。物理的にも心理的にも完成する責任者です。地球存在が、キリストのテストケースなのです。
魂とは、生まれながらの命です。甘いものを甘いと感じ、辛いものを辛いと感じるのが魂です。この目を開くのです。魂の目を開かないと、生きていても命の値打ちがさっぱり分かりません。
欲望的に生きることをやめて、自分の本心が何を求めているか、いつわらない本心が何をねらっているかを考えるのです。
自分の本心は、おいしいものを食べたいと思っています。だから、人においしいものを食べさせてあげるのです。そうすると、自分がおいしいものを食べたと同じ効果があるのです。
善事善行とは、自分が好きなことを人にしてあげればいいのです。これが、その人に、とこしえの命の香りを与えることになるのです。
人は生まれながらにして、とこしえの命を持っているのです。常識にごまかされて、分からなくなっているだけのことです。ですから世間の常識を信じないで、本心、本願を信じるのです。そうしますと、とこしえの命を見つけることができるのです。
魂の目を開くとはそのことなのです。生まれながらの五官が、肉体的に生きていることが魂ですから、目を開くというのは、世間の常識に引きずられないことです。
世間の常識は死の理屈ばかりです。それではなくて、自分の本心の願い、本心の気持ちにできるだけ順応しょうと思うのです。
おいしいものを食べて、おいしいと思う気持ちは、生まれる前の気持ちです。これは魂が感心しているのです。人間とは違うのです。魂の生活がそこにあるのです。それをつかまえるのです。そうすると、自分の魂の目が開くと同時に、他人の魂の目を開かせたあげることもできるのです。
この世で見ること、聞くことは、みな食べ物です。女性は男性の食べ物です。逆に、男性は女性の食べ物です。食べることによって、一つになってしまうのです。これが本当の恋愛です。

 

bottom of page