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成仏


人間はある時、分かったと思います。朝分かったと思っても、午後になると分からなくなる。夕方になるとますます分からなくなる。夜が更けると分かったと思う。ところが、寝ているうちに、又、分からなくなる。この繰り返しをしているのです。これをどのように突破するかということです。
成仏してから、神の子になるのが難しいのです。息が止まれば誰でも成仏できるのですが、成仏しただけでは地獄へ行きます。なぜなら、人間の霊魂を裁くのは神だからです。仏さんではないのです。仏さんが人間の霊魂を裁いてくれるなら、成仏すればいいのです。成仏しただけでは間に合わない。ここが難しいのです。
仏教が教えていることは、本当の命とは違います。
今は亡くなられましたが、妙心寺の管長であった山田無文さんが生前によく言っていたことですが、自分では成仏したつもりでいたが、神の子になっていなかったのです。だからいつも、イエス様のようでなかったらいけないと言っていたのです。そのうちに惚けてしまったのです。惚けたから、もともこもなくなったのです。
イエス様とは、神の子の模範です。神の子になってしまえば、イエス様のようになるのです。
とにかく、仏になるのは割合に簡単です。自分を捨てればいいのです。しかし、自分を捨てるのはなかなか大変です。偶然に大きな手術をする時には、ある程度死んだつもりにならなければ、手術台にはあがれません。医者にすべてを任せて、死んでもいいという覚悟をしなければ、大手術は受けられません。
大手術をされた方は、自分を任せるという経験をされたでしょう。手術でなくても、何かの都合で、自分の命を誰かに任せたような気持ちなることがあるのです。これが成仏です。瞬間成仏です。そういう経験をした時に、それをつかまえるのです。つかまえて、その中へ入っていくのです。そうすると継続成仏になるのです。一時間か二時間の成仏ではなくて、ずっと継続的に成仏できるようになるのです。
それができてもだめなのです。山田無文さんのように、成仏してもイエス様にはなれないのです。ここが難しいのです。
イエス様というのは、宇宙生命と一緒に生きている状態です。宇宙生命の中で生きるのです。そこまで行かなければだめなのです。
人間は精神を預かっているのです。預かっている精神構造を、神の子になる所まで持っていかなければ、その人の精神が裁かれるのです。自分の精神だと思っていいかげんに扱っていると、ひどいめにあうのです。自分が生きていると思っていると、やがてひどいめにあうのです。
皆様方に預けられている精神構造は、皆様のものではありません。天のものです。ところが、天が分からないのです。天は二つに分けて考えられるのです。一つは、現在生きている事々物々が天です。この天は何となく分かるのです。例えば病気になったとします。病院へ行きます。医者がいます。手術をしなければならない。これが天です。その天にいかなければならないことになりますと、一切を任してしまえるのです。これは下の天のことです。
下の天を仏と言います。上の天を神と言います。人間に与えられている事情境遇は、天なのです。それに一切を任すことが、成仏なのです。しかし、それだけで神の国へ入ったとは言えをいのです。イエス様にはなれないのです。
山田無文さんは無を見たのです。般若心経を経験したのです。しかし神の子になっていないのです。イエス様にならなければいけないと言っているうちに、惚けたのです。般若心経の悟りぐらいでは、惚けるのです。山田無文さんが本当に色即是空を悟っていたかどうか。究竟涅槃までいっていたかどうか疑問です。お坊さんをしていたということが、どうも眉つばものです。衣を着て、金の袈裟をかけて、ご飯を食べているようでは、究竟涅槃とは言えないのです。
天と言いましても、人間に密着している天と、本当の上の天と、両方あるのです。上の天が分からないのです。地球が何のために造られたのか。人間の精神の真髄は何なのか。これが上の天です。成仏した、すべてを任せたということくらいでは分からないのです。
仏典は十万億土という遠い所に、仏国浄土があると言います。十万億土というのは、空間的な距離ではありません。精神的な距離です。人間が生きている場と、仏になりきっている場が、離れているのです。
普通の人間が生きている所と、仏の国とは、精神的な距離が無限に遠いのです。無限は、又、一番近いことでもあるのです。一番遠いことでもあるが、一番近いことでもあるのです。本気になれば分かりますが、普通の人間の気持ちでは、なかなか分からないのです。
これをする秘訣は、暇があったら、できるだけ自分を殺すことです。自分から離れるのです。自分が生きているという気持ちから、離れるのです。食べている時も、仕事をしている時も、人と話している時も、できるだけ自分の気持ちから離れるのです。
これを毎日経験するのです。得をしようと思ってはいけない。自分だけ旨いことをしようと思ってはいけない。自分の悪い癖が出ようが、良い癖が出ようが、そういうことにいちいち気にとめたらいけなのです。
いつでも精神が元いた所、即ち神に帰ろうとするのです。人の精神は、上の天にいたのです。そこから出てきたのです。そこへ帰ろうとするのです。大げさな言い方をしますと、血みどろの努力が必要です。パウロはいつもボクシングをしていると言っているのです。自分の気持ちと心が、なぐりあっているのです。自分自身が自分をなぐっていると言っているのです。いつも喧嘩しているのです。これが必要なのです。
これはパウロだけではありません。達磨大師も同じようなことを言っているのです。なるべく隙をつくらないようにして、自分を踏み越えることを毎日するのです。
自分の気持ちは間違っているに決まっているのです。どんなに良いことをしても、自分が考えている間は、その人は死ぬのです。自分から離れるようにするのです。これが般若心経の中心思想なのです。五蘊皆空、究竟涅槃です。
人間が現世に出てきたことは、恐ろしいことです。精神を自分の思うように使えるのが現世です。図に乗って精神を使っていると、やがてひどいめにあうのです。
精神は神の子です。それを自分のもののように使っていますと、必ず地獄へ行くことになります。永遠の滅びになるのです。『外の暗闇に放り出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』と聖書は言っています(マタイによる福音書22・13)。歯がみをするほどの辛辣なことになるのです。
生きているうちに、正しい精神の使い方を考えなかったために、死んでから地団駄を踏むような悔しいことになるのです。ここが難しいのです。とにかく油断も隙もありません。自分で自分を甘やかしてはいけないのです。
現代の文明は、人間を甘やかす文明です。宗教はどれもこれも、人間を甘やかすものばかりです。死んだら極楽、天国へ行くとばかなことを言って人を騙すのです。死んでから、絶対に天国へは行けません。神を誤魔化したらいけないのです。自分の命、自分の精神を勝手に使えると思っていることが、大間違いです。
どうしたらいいかと言いますと、聖書を正しく勉強することです。これ以外に方法はないのです。キリスト教の聖書はだめです。キリスト教ではない聖書を、しっかり勉強するのです。そうして、人間の命の真髄をできるだけ深く勉強するのです。
本当に魂を天へ持って行きたい、生まれる前の世界に帰ろうと思ったら、油断をしてはいけないのです。甘えたらいけないのです。自分を厳しく見るのです。
そうかといって、びくびくする必要はありません。皆様はすでに救われているのです。救われているけれども、救われているという気持ちをつかまえることが下手なのです。救われているという実体をつかまえることが下手なのです。その勉強をしなければならないのです。
どのよう勉強をすればいいかということですが、自分が生きているという気持ち、自分の精神は自分の勝手気ままに使えるという甘い考えを捨てることです。そして、神の中で生きるのです。
例えば、太陽光線によって明るくなっています。温度があります。これが仏です。外側の仏の世界です。この仏を、私たちは毎日経験しているのです。
皆様が毎日経験している事情境遇は、全部仏です。それに一切を任せてしまうことです。自分が生きているとい間違った考えを止めてしまうのです。これが成仏することです。
その上に、なぜ太陽があるのか、なぜ明るいのかというその本源で掘り下げていく。これが神を知ることです。仏を知る段階と、神をつかまえる段階は違うのです。
成仏した後に、神の気持ちの中へ入ってしまうのです。そうすると地球がなぜできたのか、将来地球はどうなるのかが分かってくるのです。現在目に見えている宇宙船地球号は、不完全極まりないものです。これはやがて無くなります。日本も無くなります。日本の社会も無くなるのです。
目に見えているものは、どんどん変わっていくのです。そうして皆様が心で考えたことがないような、すばらしい世界が、現われるでしょう。これが永遠無窮の世界、新天新地です。その世界へ入れる人数は決まっているのです。そういう根本原理を勉強しなければだめなのです。
今の文明は、そういうことを勉強させないようにしているのです。人間の霊魂の悟りを妨げることばかりをしているのです。基本的人権といって、人間を甘やかすのです。民主主義といって、人間をおだてあげているのです。だから、今の人間はふやけてしまっているのです。
文明を信じたらだめです。人間の精神が腐るだけです。自分の命は、自分で勉強するしかないのです。
魂の本来の姿に帰るためにはどうするのか。精神は生まれる前の世界から来ていますから、生まれる前の世界を勉強しなければならないのです。聖書はこれをエデンと言っています。エデンの園へ行かなければ、生まれる前の状態に帰ることはできないのです。エデンのことを書いているのは聖書だけです。
エデンに帰るのを妨害しているのが、ユダヤ人です。その結果、今日のような文明ができたのです。
人間歴史の根本的な意味、地球が存在する根本的な原理を、勉強しなければならないのです。これから地球はどうなるのか。人間の魂がどうなるのかを勉強するのです。そうすると全く新しい世界が見えてくるのです。この世界が分かると、人間の迷いが一切消えてしまうのです。
 

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