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本当の恋愛


魂というのは分かりやすく言いますと、神の女ということです。神の女と言っても、現在の人間の男女の感覚でいう女とは違います。
現在の人間の男女は、肉の形で男、女を見ているのです。霊の男、女が分からないのです。
現在の男女でも、霊の男、女が分かれば、神と人との関係が分かるのですけれど、現在の人間は、霊的に見ることができません。全くできないのです。
ただ一つ、日本には国家神道という不思議なものがあるのです。これは宗教ではありません。天皇御即位の式の時に、大嘗祭をします。大嘗祭というのは、神と一夜を共にするのです。この意味が分からない。分からないのに神と一夜を共にして、神と一緒に食事をするのです。荒布をまとって、神と一緒に寝たり起きたりするのです。
これは日本の天皇の厳粛な儀式です。天皇位を保つために、絶対に必要な儀式です。これは宗教ではありません。宗教でなかったら何なのか。この説明ができないのです。
神道とは何か。宗教でなかったら、いったい何か。人間存在の実存状態から考えて、宗教ではない神とは、何であるのかということです。天皇行事とは何なのか。大体天皇とは何であるのか。これは実は聖書が分からなければ分からないのです。
日本の国家神道があるために、天皇制が確立されているのです。天皇制が確立されている所を見れば、神道は宗教ではない。宗教ではないとすれば、天皇制でいう所の神とは何なのか。これが分からないのです。
それと、私たちが言う所の、宗教ではない神観と、どういう関係にあるのか。日本の国体の原理と、聖書の原理と、どう違うのか。
とにかく、宗教ではない神道というのが、日本にあるのです。私たちが般若心経と聖書という形で提出する前に、大嘗祭という形で、御即位の時に、神を皆様の前に提出しているのです。
その時に、天皇が一夜を共にする神というのは何者でしょうか。こういう質問ができれば、聖書を真面目に勉強していると言えるのです。
今までの皆様の聖書の勉強は、まだまだ未熟です。本当の命の貞操とは何であるのか。女が求めているのは、肉の貞操ではなくて、霊の貞操ですが、霊の貞操とは何なのか。これが分からないのです。
日本人は宗教ではない神、国家神道の神と言いながら、その神が何かが分からない。神の正体を突き止めようとしない、ずぼらな国民です。天皇も天皇ですが、国民も国民です。これは聖書と大関係があるのです。これは日本の国が始まってから、初めて明らかにされようとしているのです。日本神道の真髄が言われるのは、初めてです。般若心経と聖書の勉強は、これほど重大な意味を持っているのです。
魂は神の女です。肉体を持っている女が求めているものは何なのか。肉体的に存在する人間の本質を求めているのです。男とは遠います。肉体的に存在する人間の本質を求めようと思えば、肉体的に存在する男と一つになって、その意味あいの真相を探求するのでなければ、分からないのです。
ところが、肉体的な男と一つになっただけで、分かったような気になってしまう。それが肉体の女の愚かさです。そうして肉体の女の貞操がだめになってしまうのです。
人間はいいかげんに生きています。魂はこの世を去ってから、どうなるのでしょうか。生きているうちは何とか誤魔化せます。神に逆らっても、神は黙っています。ところが、この世を去ることになりますと、皆様の霊魂は神の前にどれほどみじめな存在になるのでしょうか。このことを真面目に考えて頂きたいのです。
もう一度聖書の勉強の仕方を、真剣に考えて頂きたい。しないよりはしたほうがましだという考えではだめです。神に受入れられる勉強の仕方でないといけないのです。
皆様が現在きている命は、必ず死ぬに決まっている命です。それを自分の命だと思っているでしょう。その命ではだめです。別の命、死なない命、イエス・キリストが復活した命を受け取ることです。
必ず死ぬに決まっている命を捨てて、別の命を受け取ることを目的にして、聖書の勉強をしなおすのです。
皆様が現在生きておいでになるのは、自分ではありません。皆様は客観的に生かされているのです。皆様は空気を造ったり、太陽を造ったり、水を造ったりすることは、全くできません。皆様は天然自然に生かされています。天然自然の力、天然自然のエネルギーが、皆様を生かしているのです。
天然自然の名(ネーム)を、非常に素朴な言い方をしますと、神になります。天然自然という言い方では人格はありませんが、神と言えば人格を持っていることになります。これが皆様を生かしているのです。
神が皆様を生かしている。皆様が生かされていることが魂です。生かされている状態が魂で、これは女です。
神に生かされているとい状態が、神の女です。神の女が生かしている男に帰る。これが神人合一の妙境です。
生かしているものは神であり、生かされていることが魂である。これは宗教ではありません。日本の国家神道は宗教ではない形において、国家的に顕揚している。これが大嘗祭の本質です。
魂は人間が生きている事実をさします。皆様が生きておいでになるという実体が、神の女になっているのです。
皆様は神の霊によって生かされています。神は霊です。霊の魂が人です。霊というのは、あるべきことがらをさしているのです。あるべき本来のことがらが神です。神によって現実の人間が生かされている。皆様の目が見えたり、耳が聞こえた与ることが魂です。目が見えたり、耳が聞こえた与ることの本源が神です。
皆様の五官の原則が、神の御霊です。神の御霊によって人間は生かされているのです。皆様は聖書を勉強しているなら、自分自身を引き締めるような感覚を持って頂きたい。緊張して頂きたいのです。
皆様には生まれる前の人生がありました。五官の働きは、生まれる前の感覚です。男と女の関係は、生まれる前の感覚を持って生まれてきたのです。
男女の問題は、前世の問題です。恋愛は前世の喜びを、今世で味わっているのです。男女の問題は、誰に教えられなくても知っている。誰に教えられなくても知っているということは、前世で経験していたからです。
前世の喜びを現世で本当に受け止めようとすることが、恋愛の本当の目的です。これが神を愛することの霊的な本質につながっていくのです。恋愛と信仰は同じものです。
学者も知識人も社会の指導者も、命を知りません。命の本質がそのまま神の御霊です。命が神につながっていくのです。生きていることがらが、そのまま神につながっていくのです。
人間は神の霊によって生かされているのです。魂は神の女です。私たちが生きているという実体を掘り下げていけば、聖書を学ばざるを得ない人間になるに決まっています。
聖書は私たちが生きている事実を、そのまま論理的に説明しているのです。聖書には歴史観、宗教観がのようなものが記されていますが、聖書は歴史書でも宗教書でもありません。人間が生きているという事実を書いているのです。これをイエスという人物になぞらえて書いているだけのことです。
イエスという人物の真相と、皆様の霊魂は同じものです。ですから、皆様がイエスを信じるのは、当たり前のことです。イエス様とかイエス・キリスト様と言って、拝み奉るものではないのです。
人が生きている実体は、そのままイエス・キリストの当体です。だから、自分が生きているという間違った考えを捨てて下さい。
固有名詞を捨てるのです。現世に生きている以上、固有名詞はいりますが、これは便宜上のもので、自分の本体ではない。日本人だというど根性を捨ててしまって、ただ命だけを見るのです。そうすると、神が分かるのです。
生かしている神と、生かされている魂が分かるのです。生かしている神は誠の男です。生かされている魂は誠の女です。この関係がはっきり分かればいいのです。そうすると生まれる前の自分が分かり、生まれた後の自分が分かる。現在生きている命の実体が分かる。従って、現世を去ってからどうなるかということも分かるのです。
 

 

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