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死なない命の捉え方

 

私達は、おいしいものを食べると、おいしいと思います。どうしてそう思うかということです。
人間は目で見たり、口で味わったりしています。この力はどこからきているのでしょうか。女性を抱きたくなる気持ちの土台は、どこからくるのでしょうか。セックスに対する考え方は間違っていますが、セックスは間違っていないのです。それは、自然現象、天然現象なのです。天然現象、自然現象は、五官の中心なのです。
五官の中心となっている自然の感覚は何かといいますと、生れる前に母の胎内で植えられたものなのです。
この世へ生れて、オギャーと言った時に、鼻から息をはじめるのです。オギャーと叫ぶことは、旧約聖書の創世記に、鼻から命の息をふきこんだと書いてあるのです。これは、今だに、一人ひとりになされているのです。
命の息をふきこんだことが、霊魂なのです。創世記二章七節に書いてあることの経験を、すべての人間がしているのです。
霊魂は、鼻から息をしていることなのです。これをリビング(living)というのです。この命の正体が分かれば、死なない人間になるのです。
生れる前に、神は、命の息の原理をふきこんでいたのです。この世に生れた時に、オギャーといって、呼吸をはじめたのです。呼吸を始める前に、呼吸機能ができていたのです。
呼吸機能の力が、本当の命なのです。
これは、生れる前の命ですから、死なない命なのです。生れてからの命は、死ぬにきまっている命です。
死なない命が、私達に与えられているのです。ところが、生れた後に、物心がついたのです。物心がついた結果、肉の思い(自我意識、現象意識)という間違ったものを持ってしまった。この世の罪、業を背負いこんだのです。その結果、常識ができたのです。
常識は死ぬにきまっている人間の考えなのです。ところが、五官は、死なない命の感覚なのです。これが、人に与えられているのです。
私たちは、五官の意識によって、死なない命を経験しているのです。味が分かること、目で物を見て、きれいとか、きたないとかが分かることが、死なない命の働きなのです。
これを人は現在与えられている。
死なない命を人は持たされているのです。これが永遠の命であって、これに気づきさえすれば、地獄へ行かなくてもすむのです。
地獄とは、言葉では簡単ですが、とても恐ろしいことです。日本人は、地獄を知らないのです。
日本には、本当の神がありません。神が分からないから、裁きが分からないのです。本当の裁きが分かっているのは、ユダヤ人だけなのです。このユダヤ人が腐ってしまったから、68億の人間が皆腐っているのです。ここに、文明のさんたんたる現状があるのです。
やがて、文明は崩壊します。恐ろしい状態になって崩壊します。私たちはこれからどうしてもぬけ出さなければならない。ぬけ出さなければ、ひどいめにあいます。
五官の働きは、そのまま死なない命の典型なのです。死なない命の見本なのです。
これが人に与えられているのですから、常識をかたずけてしまわなければならないのです。
常識さえかたずけてしまえば、本当の命をはっきりつかまえることはできるのです。命をつかまえると、初めて誠の愛が分かるのです。
女の人が本当につかまえたいと思っているのは、命の愛です。世間並の人間どうしの愛ではない、本当の愛、永遠の愛です。これは、舌が味わっている味です。味は愛の味です。目で見てきれいだと思う。これは、愛を見ているのです。人の脳細胞には、神の愛を感じる機能が充分にあるのです。神の愛を、口で、耳で、確かめているのです。
そのような、永遠の命、死なない命を経験していながら、常識で考えるという悪い癖があります。だから本当のことが分からないのです。
本当の命に目覚めることです。五官の感覚に目覚めることです。
おいしいと思うのはなぜなのか。女性を愛したいと思う本当の原因は何なのか。これが本当に分かれば、死なない命をつかまえることができるのです。
 

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