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死なない命を掴まえる


現在の人間は、必ず死ななければならない状態で生きています。このことを真面目に考えさえすれば、死なない命を見つけることができるのです。非常に簡単なことです。
死ななければならない命を、現実に私たちは生きています。死ななければならない命を生きているのですから、生きているとは言えないのです。
生きているということは、死なないに決まっている状態を経験していることです。ところが、皆様の命は、死ななければならないに決まっている命です。なぜこんなことになるかと言いますと、死ななければならない命の本質が分かっていないからです。
死ななければならない命であることが分かっていながら、それを自分の命だと思い込んでいる。だから、死ななければならないことになるのです。これは当たり前のことです。
こういうばかな考えを、やめなければいけないのです。これは皆様方だけのことではありません。日本には1億2500万人の人が住んでいますが、全部間違っているのです。全世界68億の人が、全部間違えているのです。
欧米の白人が間違えた。白人の中のユダヤ人が間違えた。ユダヤ人が間違えたために、白人が間違えた。白人が生命観を間違えてしまったために、現代人は、本当の命ではないものを、命のように思い込まされているのです。これが現代教育です。学問は本当の命が分かっていない思想です。
政治家は命が分からないままで政治をしようとしています。命の本質が分からないままの状態で、政治をしているのですから、ろくな政治ができるはずがないのです。
現在の世の中はどうなるのか。やがて文明そのものが潰れてしまうでしょう。指導者も指導される人も、両方共命を真面目に考えていないからです。
死ぬことが分かっていながら、それを自分の命だと思い込んでいる。何というばかなことをしているのでしょうか。だから、一億二千万の日本人は、全部死んでいくしかないのです。
死んでからどうなるのか。ろくな所へ行ないのです。死んでからの皆様の状態は、惨憺たるものになるのです。
生きているうちに、命が分かって生きているのなら、惨憺たる状態にはならないのです。
皆様は、命の本質を弁えないままで、自分自身の欲望を満足させるために生きているでしょう。
何のために生きているかと聞けば、お金を儲けるため、家庭を安全にして、国家社会をよくするために、生きていると言われるでしょう。ちょっと聞くと、国家社会を良くするとか、生活を安全にすることは、非常に立派な思想のように聞こえますけれど、そうではない。そんなことは当たり前です。命の本質が全く分かっていないから、生活のことしか考えないのです。
こういう思想によって、皆様は命を踏みつけにしているのです。自分の命を自分で踏みつけている。たった一つしかない自分の命を、自分で踏みつけにしている。自分自身の欲望のため、金儲けのため、煩悩のために、自分の命をこき使っているのです。
何のために結婚したのでしょうか。何のために仕事をしているのでしょうか。結局、現実の生活を守るためでしょう。
現実の生活は、何の目的で存在しているのでしょうか。現実に生きることが目的になっています。現実に生きるということは、欲望の満足を果たすためでしょう。そういう思想を文明というのです。
これは根本から間違っています。命が分かっていない状態で生きている。商売が分かっていない状態で、商売をしているのと同じことです。失敗するに決まっています。現在の日本人の生活は、死ぬに決まっている生き方をしているのです。これが間違っています。
般若心経が全然分かっていないのです。般若心経が日本へ来て、千年以上にもなりますが、未だに般若心経の真意が、全く分かっていないのです。
皆様の生き方は、世間的にいえば、真面目でしょう。しかし、世間が間違っているのです。国が間違っているのです。命という立場から考えますと、国家社会が、根本から間違っているのです。
天皇制がありながら、天皇が分かっていない。なぜ天皇制が日本になければならないのかが、分かっていないのです。
第二次大戦前に、『古今に通じて誤らず、中外に施して悖らず』という教育勅語が日本にありました。古今に通じて誤らずというのは、今であろうが、昔であろうが、誤っていないという意味です。中外に施して悖らずというのは、世界中どこに持っていっても間違いないというのです。これが日本の国体ですが、その意味が全然分かっていないのです。
天皇とは一体何でしょうか。国とは何でしょうか。社会とは何でしょうか。家庭とは何でしょうか。
現在の日本人は、命が全然分かっていないのです。だから、今の人間は生きているのではなくて、死んでいるのです。死ぬに決まっていることがよく分かっていながら、その命をしっかり握りこんでいるからです。
死ぬに決まっている命を手放してしまえば、死なない命を掴まえることができるのです。これを般若波羅蜜多というのです。般若波羅蜜多とは、今掴まえている命を、放すことです。放せば、今掴まえている命ではない、別の命を掴まえることができる。これを般若というのです。
命に対する考えを、土台から入れ替えてみようという勇気、大胆さがあれば、皆様が今日まで生きてきた命をやり直すことができるのです。目が黒い間は、命の入れ替えはできます。心臓が動いている間は、命を持ち直すことはできるのです。
これは宗教ではありません。宗教は、信者を食い物にしているのです。仏教の教団は信者を食い物にしてお金を集めています。キリスト教も信者を食い物にしているのです。死んだら極楽へ行ける、天国へ行けると言いますが、これは全くの嘘です。嘘を言って、信者を食い物にしている。これが宗教です。
イエスがキリストとなった思想があるのです。死人が甦る思想です。死人が甦る思想が実現したのが日曜日の存在です。日曜日を世界中の人が認めています。日曜日があることが、死人が甦った確証になるです。日曜日を一回でも経験した人は、この事実を否定できないのです。日曜日を素直に認めればいい。そうすれば死ななくなるのです。
キリストは神の命です。神の命であるキリストを受け取るのです。難しく考えることはないのです。
皆様が現在生きている命は、必ず死ぬ命です。十人が十人、百人が百人共、死にます。この命をやめて、神が用意した死なない命を、黙って受け取ればいいのです。簡単なことです。非常に簡単なことですから、ぜひ受け取って頂きたいのです。受け取った人は永遠に大得をしますが、受け取らなかった人は永遠の大損をすることになるのです。

 

 

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