top of page

目的がない文明

 

死んでいかなければならない命は、正しい意味での命ではありません。これを良くお考え頂きたいのです。死ななければならないものは、正当な、正確な意味での命ではないのです。
人間の命は、聖書に基づけば、神の命を吹き込まれたもの、神の命の実物を吹き込まれたものなのです。従って、皆様が生きておいでになる命を、正確に理解すれば、神の命であることが分かるのです。この命は死なないのが当たり前です。死ねないのが当たり前です。
ところが現代文明は、人間が死ぬのは当たり前という意識を、すべての人に持たしてしまった。これは大変な間違いを教えたものです。政治、経済の間違いなら、修正できるのです。ところが、命に対する間違いは、修正できないのです。決定的な間違いになってしまうのです。
皆様は、ご自分が生きている命が絶対に間違いがないと思って生きておいでになるでしょう。だから修正する気持ちにならないのです。
現代文明は、はっきり言えば欧米の白人文明です。白人文明はそういう弊害を、人類全体に与えているのです。白人文明は、生活の便利さ、豊かさを与えましたが、そのかわりに、命の正確な認識を奪ってしまったのです。
現代文明の個人主義、民主主義は、白人意識であって、日本人本来の意識ではありません。民主主義は結構です。皆様が正しい命を悟った上で民主主義をお考えになるのなら、結構です。大賛成です。
死なない命をつかまえた上で、民主主義と言うのならいいでしょう。死ななければならない命を持っていながら、民主主義と言っても何の価値もありません。
民主主義の目的は何でしょうか。実は民主主義はおかしな主義であって、主義はありますが目的はないのです。民主主義という思想、アイデアはありますが、目的を持っていません。社会や国を立派にするというでしょう。社会や国を立派にするとはどういうことでしょうか。
日本という国は目的を持っていません。個々の人間も目的を持っていないのです。死ぬに決まっている命を自分の命だと思い込んでいる。そんなことで、人間としての尊厳性を持っていると言えるでしょうか。
人生の目的が全然分からない。保険をかけて、家を建てて、貯金を貯めて、死んでしまうのです。
現在の人間は、命の本質を弁えないで、民主主義、人権主義を考えているのです。これが白人主義の非常に悪い点です。命の本質を曲げてしまって、現世に生きているだけの状能を、人間に押しつけようとしている。現世に生きているだけの生命を人間に与えて、人間の中にある永遠の生命、生命の実質を奪ってしまったのです。
新約聖書の根本精神を、キリスト教自身が奪ってしまったのです。キリスト教が、イエス・キリストの本当の精神を奪ってしまったのです。キリスト教という白人の宗教が、イエス・キリストを殺してしまったのです。
イエスを十字架につけたのはユダヤ人です。復活のキリストの命を奪ったのは、白人です。イエス・キリストの復活の命を正確に伝えているのが、新約聖書ですが、これを奪って、キリスト教という宗教を日本に与えた。命をすり替えたのです。キリスト教と聖書をすり替えたのです。
現在の日本には、キリスト教にすり替えられた、間違った宗教はありますけれど、本当のイエス・キリストの復活の命は、日本にはありません。そういうばかげた状態を、白人文明が造ったのです。皆様はそれをご存じないのです。
キリスト教はキリスト教の教義を伝えています。キリスト教の教義は、白人社会で造られた教義です。白人社会で造られた宗教教義は、白人社会で通用しても、日本社会で通用させてはいけないのです。
日本には、般若ハラミタ、人間が生きていることが空であるという、命に対する偉大な見方があるのです。
般若心経は人間が生きていることが、無意味だと言っているのです。イエスも同じことを言っています。神の国と神の義を求めよと言っている。生きている状態のままで、神の国を求めよと言っている。
求めよとは捜し求めよという意味です。人間が生きている命を通して、神の国を捜し求めよと言っているのです。
ところが、死んでから天国へ行くということを、キリスト教が教えている。そういうばかなことを、白人の宗教は述べている。白人の宗教は、そのように、人間の本質を歪めているのです。
皆様の命は神が与えた命であって、存在的に言うのなら、死ぬべきものではありません。神の命を吹き込まれているのが、人間の命です。ですから、皆様の心臓が止まっても、命が消えたことではないのです。
皆様の命は、昨日があって、今日がある。今日があって、明日がある。昨日と今日と明日の三つの段階を、過去と現在と未来と言います。この三つの段階を認識する状態で、生きておいでになります。こういう認識がなければ、皆様の命は成立しません。
従って、今日皆様の心臓が止まるとしても、今日があって明日があるという認識は消えないのです。
明日があるという状態で、心臓が止まるのです。明日をはっきり認識したままで、この世を去っていくことになるのです。ところが皆様は、この世を去ってどこへ行くのか分からない。だいたい人間は、この世を去ってどこへ行くかが分かっているはずです。分からないようにさせられてしまったのは、文明のためです。キリスト教のためです。
キリスト教が死んでから天国へ行くというばかなことを言ったために、死んだ人は天に帰ったとばかなことを言うのです。天に帰ったのではありません。地獄の底へおちたのです。死んでからの霊の状態がはっきり分からないままでこの世を去った人は、地獄へ行くしかないのです。
皆様は、過去と現在と未来を認識して生きておいでになります。この世に生まれる前の世界があったのです。現在、生まれてきた世界に住んでおいでになります。やがて、死んだ後の世界へ行くに決まっています。このことを、生きているうちにはっきり勉強することが、正しい命の認識です。過去、現在、未来という時間的な認識に基づいて、自分の命をよくお考えになって頂きたいのです。
命というのは、生きているままの状態で神を見ることです。神と向かい合って生きていることが命です。それがはっきり分かっている人は、現世を去っても死んだ後にどうなるかがはっきり分かるのです。
これはキリスト教の教義ではありません。キリスト教は死んでから天国へ行くと言いますが、聖書は生きているうちに天へ行くと言っているのです。生きているうちに、神と語り合うのです。
肉体的に生きている自分から離れることが、般若ハラミタです。肉体的に生きている自分から解脱して、霊に従って神と話しながら生きる。これが神の国と神の義を求めるイエスの信仰です。
イエスは現世に生きていて、神と語っていたのです。イエスが持っていた信仰と同じものを、皆様が経験されることが、死なない命の経験なのです。
従って、現在までの命に対する見方をやめて、新しい命の受け取り方を学ぶことが、般若ハラミタです。神の国と神の義を求めるということは、こういうことをいうのです。
現在、皆様が生きておいでになる命の本質を、素直に見ていくのです。皆様の精神の原理に基づいて、生きているということがらの実体をはっきり捉えていけば、死なない命の現物が分かるのです。
現在の文明は、政治、経済を中心にして、人間の立場から人間を教育する、人間の思想を人間に押しつけているのです。人間の思想を人間に教育しますと、人間の魂は死んでしまうのです。現代教育はそのような欠陥を持っているのです。文明がそのような欠陥を持っていることを認識して、それに引きずられないように、私たち自身が警戒するしかないのです。
日本には本当の仏教は来ていません。本当の仏教は、人間が生きていることが空だと言っている。これが般若ハラミタです。イエスもこのことを言っています。自分を捨て、自分の十字架を負うて、私に従ってきなさいと言っています。
キリスト教会へ行く人は、自分が救われたいからキリスト教を信じるのです。自分を捨てるどころか、自分自身を拾ってもらいたいのです。こういう所が、宗教が根本から間違っている所なのです。
自分を捨て、自分の十字架を負うことが、新約聖書の基本原理です。これは般若ハラミタの根本原理に一致するのです。
まず目分を捨ててしまうこと、自分を捨てなければ新約聖書は分かりません。自分を捨てなければ死なない命を見つけることはできないのです。
 

bottom of page