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存在していない自我と個我

 

自分、個我が罪です。これは死んでしまうものです。自我、個我は、実は存在していないのです。これを存在しているもののように強く考えるのが、現代人の意識です。
今から二百年前のフランス革命以来、これが非常に強く意識されるようになったのです。これがいわゆる人権主義です。人権主義ほど人間をつけあがらせる悪い思想はありません。
現代人は自分というもの、個我があると思い込んでいます。そういう人は必ず死にます。これがあるために、どうしても神が分からない、聖書が分からないのです。
人間には生きているという事実があるだけです。生きているということが、オンリー・トゥルー・ゴッド(only true God)です。これは自分がいないことを、最も明白に経験している事実なのです。
生きているという事実は、すべての人の共通点です。皆同じように目が見え、同じように耳が聞こえるのです。それを自分が生きていると思っている。自分の立場、自分の考えあると頑固に思っている。これが本当の命が分からない原因です。これが人間の迷いの中心です。
自分が生きているという考えが、迷いの中心であって、この考えが皆様を殺すのです。自分、個我が罪です。
旧約聖書の創世記にありますが、人間は神から絶対に食べてはいけないという善悪の木の実を食べて、自分を意識しました。隠し所を発見しました。その結果、個我が生まれたのです。個我は悪魔が発明した隠し所です。宇宙に絶対に存在しない、絶対に存在してはならない意識です。これを悪魔が発明した。そのために、ルシファーが、天使長から悪魔に転落したのです。人間はこの意識を自分だと思い込んでいるのです。
ユダヤ人が造った人権思想は、隠し所をアピールしている大馬鹿な思想です。ここがユダヤ思想の大欠陥です。
個我的な意識を捨てるのです。そうすると、マタイによる福音書の中の山上の垂訓でも、パウロの書簡でも、容易に信じることができるのです。
イエスは自分に従ってきたいと思うなら、己を捨てて、己が十字架を負うて、私に従ってきなさいと言っています。自分を捨ててということを、第一条件にしているのです。自分を捨てたら、救われるに決まっています。自分の意見、自分の経験は捨てるべきものです。
現代の日本人は、フランス革命のユダヤ思想にかぶれているのです。基本的人権というありもしない馬鹿な思想を信じている。自尊心から脱却することが、なかなかできない。これが皆様の欠陥です。現代人の欠陥です。
自尊心がある人は、聖書をまともに信じることができません。なぜなら、悪魔を信じているからです。自尊心の出生は悪魔ですから、自尊心と聖書は一つになりません。自尊心とか、自負心、自我が、考えの土台になっていれば、その人の考えは、悪魔の考えになるのです。
今の日本には、悪魔ばかりがいます。その証拠に、今の人間の命は、死ぬに決まっているのです。自尊心を持っている人は、必ず死にます。これを捨てればいいのです。死ぬ命を捨てればいいのです。死ぬ命を捨てるというのは、自尊心を捨てることです。これをすれば、必ず救われるのです。これが信仰の秘訣です。
人間が生きているのは、オンリー・トゥルー・ゴッドの命です。神しかいないということが、人の客観的な状態です。
聖書は本質的に言いますと、天地が造られる前からのことを、記しているのです。一体なぜ地球が存在するかということです。人間存在は地球存在の代表的な生物であって、人間の自覚の状態によって、地球存在の価値が決定するのです。
人間が生きている場所が地球ですが、人間の生き方によって、地球の値打ちが上がったり下がったりするのです。
現在の文明人は、地球に生きている値打ちを持っていません。地球を食い物にしているのです。これが現代文明の非常に悪い点であって、地球を食い物にしてはいけないのです。
地球を神の御心に従って、完成しなければならないのが、人間の責任です。義務です。地球を完成することが、人間の責任です。
まず千年間の絶対平和を来らせることです。これが千年王国です。そして物理的に地球を完成すること、現在の地球が消滅した後に、全く新しい原理による新天新地を実現することが、人間の責任です。
現在のように、死や罪が地球に存在することが、神が人間に与えている課題です。地球になぜ罪があるのか。なぜ死があるのか。罪と死を地球から追い出して、地球を理想的なものにすること、地球を神の国にすることが、人間の責任です。聖書はこれを書いているのです。聖書66巻に書かれていることを、実行することが、聖書を信じることの目的です。
現代人は自分の生活のことしか考えていませんから、本当のことが分からないのです。現代人の生活は、罪と死だけです。罪を犯して死んでいく。ただこれだけしかないのです。
人間が罪を犯した時に、人間の目が開いた。そして何を見たかと言いますと、隠し所を第一に見たのです。男と女が、お互いに、隠し所を見た。これが人間の陥罪の最初です。キリスト教は隠し所が何のことか分かりません。隠し所の説明ができないということは、完全な聖書の説明ができないということです。
人間の本質は、オンリー・ゴッドであって、神において生きていることが分かれば、どんな問題でも分かるのです。
人間が考えるセックスは、嘘です。パウロは情欲はデシート(deceit)、詐欺だと言っています。すべての人間は詐欺にかかって、振り回されているのです。
聖書を徹底的に読んでいきますと、人間の秘密が全部分かるのです。まず、神の国に入る必要があります。神の国に入れば、死ななくなるのです。自分の思想を脱ぎ捨てて、聖書の思想を着る。そうすると神の国に入れるのです。
自分がいるという思想が、間違っています。個我があるという思想が、間違っているのです。個我という思想は、善悪の木の実を食べて、アダムが神に反抗してできた思想です。
全世界に68億の人間がいるのではない。人間は一人です。砂糖をなめれば、誰でも甘いと感じます。命は一つしかないのです。神の命を、人類全員の人が経験しているのです。従って、自分が特別に実存していると考えるのが、間違っているのです。
イエスは、自分がしてもらいたいと思うように、人にもしてあげなさいと言っています。自分も他人もないのです。自分がしてほしいと思うことは、他人もしてほしいと思うでしょう。だから、自分が有難いと思うことは、人もそう思うから、そのようにしてあげなさいと言っているのです。山上の垂訓の思想は、人間は一人しかいないという思想です。
イエスが主であるという思想は、人間の本質は一つしかないという思想です。これを日本の憲法が示しているのです。天皇は日本国民統合の象徴であると述べています。国民が統合するのです。日本の天皇制は、人間全体が、統合する可能性があることを、憲法で予告しているのです。これは大変な思想です。
これは人間の思想の中で最高の哲学と言えるでしょう。宗教的にも哲学的にも、最高の思想です。天皇制は哲学の最高峰です。これがキリストです。
キリストというのは、すべての人間が統合すべき、唯一の人格です。あなたがたの命は、キリストと共に、神の内に隠れていると、パウロは言っています(コロサイ人への手紙3・4)。皆様の命は、肉的には死んだものであるが、霊的にはキリストと一つになって、神の内に隠れている。キリストと一つになっている命しかないのです。
イエスという言葉こそ、皆様が生きている本質です。これは信じるも信じないもありません。皆様が現在生きておいでになる状態が、そのままイエスです。これがキリスト教では分からないのです。
イエスの実体は何か。実はイエスとは私のことです。イエスという固有名詞は、私自身の本質です。
イエスが主であるということは、私自身の本質、本体をそのまま証明しているのです。私が生きていることが、イエスが主であることの実体です。実質です。皆様方もそのとおりです。
皆様の目が見えることが、イエスです。心臓が動いていることがイエスです。ですから、イエスが主であるということは、当たり前のことです。信じるも信じないもないのです。自分目身の本質を究明しないから、分からないのです。
自分自身の本質を、洗いざらい洗ってしまえば、人間の常識や雑念は、全部流れてしまいます。自分の本質、本体だけが残るのです。これがイエスです。
宇宙が存在すること、地球が存在することの本質実体がエホバです。人間が存在することの本質、実体がイエスです。エホバとイエスしかないのです。聖書を煎じつめると、この二つになるのです。
エホバの御名、イエスの御名が、私たちの信仰の旗じるしです。我はエホバにして、とこしえにわが名となるべしと、出エジプト記で神自身が言っています。宇宙の実体、地球存在の実質、実体はエホバそのものです。これが地球の実体です。
人間の実質、実体はイエスです。聖書を煎じつめるとエホバとイエスになる。これが聖書66巻の結論です。神とは何か、エホバです。救い主とは何か、イエスです。この二つしかないのです。

 

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