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相対の世界

 

宗教は絵に書いた富士山です。聖書は実物の富士山を示しています。同じ格好をしていますが、全然違います。本物の富士山は、登ることができますが、横山大観が描いた富士山は、高いお金になるのですが、登ることができません。ここが違うのです。
本当の聖書を説いても、お金にはなりません。誰も開こうとはしません。人間の世の中では、偽物を示すと大歓迎されるのです。お金を出して聞く気になるのです。なぜそうなるかと言いますと、本当の聖書を説くと、ご利益が感じられないからです。本当は莫大なご利益があるのです。神の国に入る。死なない命、永遠の命を与えられるという無限のご利益があるのですが、現世の幸福を与えるとは言わないからです。
現在皆様が生きておいでになるのは、此岸です。こちらの岸です。相対の世界です。人間が生きているのは、相対の世界に決まっています。肉体的に相対の世界に生きている人は、いつ死ぬかもしれない世界に生きているのです。
大学教授は、相対の話なら受け入れますが、絶対の話は一切受け入れないのです。生と死が相対している世界で、うろうろしているのが、学問です。
自分が生きているという気持ちで、いくら勉強しても、完全なものにはなりません。ただ自分という人間の思想の範囲内を、ぐるぐる回っているだけです。
自分の外に出してしまわなければ、本当のことが分かるはずがありません。進歩するというのは、自分から出ることです。
今までの皆様の生活は、相対の中でうろうろしていたのです。これは本当の生き方ではないのです。
皆様はこの世に生きるために生まれていらっしゃったのではありません。皆様が現在生きていらっしゃる状態、例えば目が見えること、耳が聞こえること、食物の味が分かるということがどういうことなのかを、知るために生まれてきたのです。
これが分かれば、今生きているままの状態で、その外へ出ることができるのです。生きている状態を持ったままで、自分の外に出ることができるのです。生きている状態を持ったままで外に出ても、心臓は止まりません。
自分が生きている状態のままで、外へ出るのです。そうすると、自分ではない自分になるのです。これを般若心経では究竟涅槃と言っています。究竟涅槃をしますと、今まで生きていた自分の外へ出られるのです。それでも、やはり心臓は動いています。肉体的に死ぬわけではありません。むしろ、脳波はさらに活動するのです。今まで働いていた状態の二倍や三倍もの脳波が活動するのです。そうすると、今まで生きていた自分ではない自分のことが、分かってくるのです。イエスがいることが分かるのです。
自分が生きているのではなくて、イエスが生きていることが分かるのです。そうすると、彼が死を破った復活の命が、どういうものかが、分かってくるのです。
女性は何を求めているのでしょうか。非常に純粋なものを求めているのです。男性は利害得失毀誉褒貶を求めます。女性でもそれを求める人がいますが、本当の女性はそうではありません。
家庭とは何か、セックスとは何かです。それが分からないままに、生きているのです。男性はそれをいいことにして、セックスの対象として、女性をこき使っている。これが根本的に間違っているのです。
男性が性欲的な感覚で女性を見ているために、女性の本質がどうしても分からないのです。男性に女性の本性が分かれば、命が分かるのです。
女性は何を求めているかと言いますと、現世に生きている男性を求めているのではない。現世の男性は生臭すぎるのです。そんなものを女性は求めているのではない。しかし、女性にはそれが分からないのです。自分が何を求めているか、分からないのです。
女性は五十才になっても、六十才になっても、シンデレラの気持ちを持っているのです。いつか、王子様が迎えにきてくれるだろうという、非常にすばらしい希望を持っているのです。
男性はそんなことを考えません。社長になるか、大臣になるか、現世で成功することだけを考えているのです。女性はそんなことを考えません。これが人生の秘密ですが、これが女性自身に分かっていないのです。聖書をとことん勉強すれば分かってくるのです。
神が男性に女性を与えたのは、そういう意味であって、女性が本当のものを求めると、その姿が男性の手本になるのです。
マインド(精神)の働き)は、男性の方が傑出していますが、ハートである直感性は、女性の方が傑出しているのです。これを二つ合わせると、本当の人生観が分かってくるのです。そうすると、男でもないし、女でもない人格になります。これが観音さんです。
鎌倉の大仏さんは、与謝野晶子から見ると美男でおわすとなるのです。ところが男性から見ると美女に見えるのです。これが仏の相です。女性の理想と、男性のマインドが一つになれば、本当の人生観が分かるのです。
女性は結婚した後に、夫をこんな男ではなかったはずなのにと、皆思うのです。こんな男のために結婚したはずではないと思うのですが、時すでに遅しです。そこで女性は困るのです。結局女性は、成仏しないままの状態で、死んでしまうのです。
女性のハートの直感がどういうものかを、今の男性は分かりません。男の欠点が分かっていないからです。大体、女性の方が、ハート的に優れているのです。ハート的に優れている女性が、男のいいなりにならざるを得ないという原則があるのです。
なぜこのような原則ができたのか。これは旧約聖書の創世記第三章にある陥罪の結果です。神が絶対に食べてはいけないという善悪を知る実を、食べてしまった。人間は罪を犯したのです。禁断の木の実を食べた所に、人間社会の非常に深い秘密が、隠れているのです。まずエバ(女性)が悪魔にそそのかされて、禁断の実を食べた。禁断の木の実を食べてから、女性がだめになったのです。
だめになったというのは、社会的な意味で、だめになったのです。女性はこのことをよく心得ないで、ウーマン・リブ等の女性解放運動をしても、だめなのです。
人間が生きているのは、相対の世界であって、自分の善悪利害得失をいつも考えて、生きています。ところが、人間が存在しているのは、絶対の世界です。絶対の世界を現代文明は、極端に嫌うのです。大学教授は、絶対を非常に嫌うのです。そのくせ、科学は絶対を求めようとしているのです。
哲学も、法律も経済も、本当の文明、絶対の平和を目指しています。目指していながら、学者や政治家は絶対を嫌うのです。ここに、人間文明の不完全さがあるのです。
やがて、文明は潰れます。潰れるに決まっているのです。文明の目的がないからです。学問に目的がないのです。
日本の政治には、目的がありません。日本という国が何のためにあるのか。今の政治家に分からないのです。
人間は、目的がない社会で、うろうろしています。だから、人間は皆、死んでいくだけのことです。
現代の文明を、聖書的に言いますと、偽キリスト文明になるのです。基本的人権が王様になっています。王様になってはならないものが、王様になっている。だから政治家も、学者も、思いきったことが言えないのです。まじめな学者がいても、言えないのです。日本にはまじめな学者が一人もいませんが、もしいても、本当のことが言えないのです。そういう、ややこしい状態が、今の文明です。
文明は人間の霊魂を束縛しています。自由に考える能力を、奪っているのです。皆様が死にたくないと思いながら、本当の命をつかまえられないような、束縛された心理状態になっている。
今までの皆様の方の世界観や価値観が、間違っています。それを脱ぎ捨ててしまえばいいのです。そこで、勇気がいるのです。
女の人は、今まで求めていた男性が間違っているのです。女性は男性を求めていたのではない。男の中の男を求めていた。男の中の男の光を求めていた。それが分からないのです。
宗教が悪いのです。哲学が悪いのです。学問が悪いのです。その結果、女性が犠牲になってしまった。男性はそれをいいことにして、性欲の対象にしているのです。
男性は結婚すると、ゴリラになってしまいます。結婚するまでは、物の分かった紅顔の美少年であっても、結婚するとゴリラになってしまうのです。結婚によって、男も女も、両方共だめになるのです。
世の中は、こういうばかなものだということを、良くご承知頂きたいのです。責任は宗教にあるのです。本当の意味における宗教ではない聖書を説く人がいないからです。宗教ではない般若心経を説く人が、日本には一人もいないからです。
絶対を考えてみて下さい。善悪ではない。利害得失ではない。絶対をつかまえるのです。
皆様が生きておいでになるのは、絶対です。絶対の命を持っておいでになりながら、善悪を考えている。皆様の命の本質と、思考方式とが、矛盾しているのです。
これは文明が悪いからです。人間文明が根本的に間違っていることを、十分にご理解頂きたいのです。
 

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