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五官の来歴

 

皆様は五官の来歴が現世のものだというように、教育されているのです。ルネッサンス以降の近世並に現代教育が、非常に悪いのです。
その教育を受けたものは、現世の生活だけしか考えられなくなってしまった。人間の五官の本質とか、地球ができるまでのファンデーションとか、地球の将来が考えられない人間になってしまったのです。
学理学説は現世だけに限定されているのです。極めて制限されて、拘束された不自由なものです。こんなものが自由と言えるのでしょうか。
今の学問は人間を不当に制限しています。自由平等と言いますが、本当に自由平等でしょうか。自由、自由と盛んに言いますが、天災、病気、死にいつも脅かされて生きています。平等平等と言いますが、死を破ったイエスと自分は同じだとは考えられないのです。
皆様は自由平等と言って、まんまといっぱい担がれているのです。生まれる前の状態、人間の霊魂の状態、永遠の生命の実体が、全く分からなくされているのです。
地球はやがてなくなります。できたものは潰れるに決まっています。始められたものは、終わるに決まっています。
地球はできたものです。文明もできたものです。これは終わるに決まっています。その次にどういうものが来るのであろうか。聖書にはっきり書いていますが、それをお話しすると、学者が嫌がるのです。
キリスト教もそのとおりです。キリスト教は率先して嫌がっているのです。私がキリスト教が間違っていると口を極めて罵るのは、キリスト教が聖書を歪めているからです。キ
リスト教が悪いというよりも、キリスト教が現代文明に追随していることが悪いのです。宗教が文明に追従している。その結果、キリスト教がユダヤ文明に追随しているのです。
ユダヤ教とキリスト教が一体になって、人間全体を騙している。これが文明です。ところが、日本の国体とか、聖書はそんな小さなものではありません。皆様の魂はすばらしいものです。本当にすばらしいものです。皆様の霊魂は地球ができる前を知っているのです。だから神は、地球ができる前のものを見せているのです。
世界ができる前の状態を、神が花として見せている。又、富士山として見せている。景色とか、花、美人として見せているのです。それがきれいに見えることは、皆様の直感性が地球ができる前のものだと知っているからです。
女性の美しさは、この世ができる前の美しさです。これが分からなければ、女性の価値は分かりません。
女性自身にはそのことが分からない。そのような価値をもって女性を見てくれる人を願っているのですけれど、そういう男性はめったにいません。だから、女性は失望した状態で死んでいかなければならないのです。気の毒なことです。
女性も富士山も同じことです。世界が始まる前の美しさが、今現われているのです。
生かされているということを浄土真宗でしきりに言います。いわゆる他力本願的な角度から生かされているということを言いますが、これは間違ってはいません。しかし正確ではないのです。
生活が可能であるという意味で生かされていると言っているのです。もちろん生活が可能であるという意味で、生かされているということがなければならないのです。生活において生かされているというのは、直接的なことではなくて、間接的なことなのです。
本当に生かされているというのは、心臓が動いていること、目が見えることです。ザ・リビングということが、生かされているという言葉の当体なのです。これが分かってしまうと生ける神が分かってくるのです。
神というのは概念ではなくて、皆様方の命、宇宙生命の本体を人格化したものです。太陽の働きをそのまま人格化したものです。これが生ける神、ザ・リビング・ゴッド(the living God)です。ただの神とは違います。生ける神というのは皆様方の命の本質をさすのです。
皆様の魂はリビング・ソール(living soul)です。神はリビング・ゴッドです。リビングが神と魂によって両方から活用されているのです。これが現世に生きているということです。
自分を生かしている当体は何か。生活的に生かされている前に、生活の基礎になっているリビングを見なければならないのです。五官の働きが生活の基礎になって動いている。五官の働きが神と直結しているのです。皆様の五官の働きが動いている。目の働き、耳の働きが神と直結している部分なのです。
神と直結している部分をはっきりつかまえますと、神の実物をつかまえることができるのです。これをつかまえたら、死ななくなるのです。もちろん肉体は死にますが、魂が死ななくなるのです。
本当の命は心理的なものが大部分です。ほとんど全部と言ってもいいでしょう。命は心理機能の本源です。これを神の言葉と言います。神の言葉は単なる言語、思想というものではなくて、具体的な生命活動の原因なのです。さらにもう一歩つっこんで、皆様の生理機能の働きが神の言葉なのです。命の本質であるエネルギーは、神の言葉なのです。これが理解できるようになりますと、思想的に変わった人間になるのです。今まで生きてきて死ぬかもしれないと思っていた人間ではない、別の人間になるのです。これが生まれる前の自分です。死なない人です。生まれる前の命を見つけたらもう死なないのです。
皆様がオギャーとお生まれになった時は、死なない命をそのまま経験しておいでになったのです。ところが物心がついてから、だんだん死ぬ命にすりかえられてしまったのです。皆様がこの世にお生まれになったことによって、死なない命から死ぬ命にすりかえられたのです。この世によって皆様の命の本質が変えられたのです。このような事実を悪魔というのです。
この世の本性が悪魔です。自分の命があると考える。この世に生活するために生まれてきたと考える。こういう考え方が悪魔の思想なのです。皆様は悪魔の思想によって、七十年、八十年の問この世に生きておいでになりました。これは本当の自分ではないのです。
本当の自分は、目の働き、舌の働き、五官の働きの本質です。これが神の言葉です。神の言葉が人の魂の本質です。これに気がつきますと、肉体は滅んでも魂は死なないことがはっきり分かるのです。魂と肉体は別のものなのです。魂と肉体は重大な連関関係はありますが、本質的には違うのです。
自分の五官の働きの本質が神だということがお分かりになりますと、肉体が滅びても心理構造はとまらないのです。新しい命を発見し、自分を生かしているものの本体が分かりますと、死ななくなるのです。
実は皆様の魂は生ける神の子です。イエスと同じ本質です。皆様は死を破ったイエスと同じ本質を持っていらっしゃるのですが、自分が生きているとお考えになっているために、自分自身の思想によって死なねばならない状態になっているのです。これは本当に残念なことなのです。
先にも言いましたように、皆様がこの世にお生まれになった時は、死なない命を持っていらっしゃったのです。ところがだんだん物心がつくようになって、死ぬ命にすりかえられたのです。だから元の命に帰ろうという気持ちがあれば、誰でもできるのです。
イエスが死からの復活を歴史的に実現したのです。これが本当はこの世に通用しなければならない思想です。これを妨害しているのが人間文明なのです。
皆様は死なねばならない命を持っておられますが、同時に死なない命を持っているのですから、自分が生きているという気持ちを捨ててしまえば、死なない命が残るのです。
 

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