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霊と魂について


魂ということが、宗教では正確に説明できないのです。仏教には魂という文字がありません。ですから説明のしようがないのです。しかし、魂のようなことは説明しています。
例えば、大無量寿経の法臓比丘という人の悟りの状態は、魂の状態なのです。それを大無量寿経
では阿弥陀如来と訳していますが、阿弥陀如来と言ってしまいますと、魂という言葉から少しずれてしまいます。
魂というのは、霊に関係があることなのです。霊というのは、魂が働いている状態のことです。
霊というのは、もう少し分かりやすく言いますと、心臓が動いていることです。目が見えるということです。
人間は、自分が生きていると勝手に思っている。自分が生きているという考え方は、非常に傲慢な、むちゃくちゃな考えなのです。人間が生きているのは、生きているという事実が人間として生きているのです。英語で言いますと、リビングです。ザ・リビングという状態が、人間のかっこうで生きているのです。
生きているという事柄が、霊なのです。魂というのは機能です。霊は状態です。人間の精神的な働きは、肉体的な働きと表裏の関係にあります。実は、心理機能と生理機能は一元的なものです。このような機能性を魂と言います。
魂は、人間の五官の働きの本質です。これが肉体的な状態になって現れています。この状態を無視してしまいますと、魂と言えなくなるのです。
人間の命の本質は神の言であって、これが肉体的に現れていることを魂と言うのです。これを新約聖書で言いますと、ヨハネによる福音書第一章十四節で、言は肉体となったとあります。これが魂なのです。これを聖書ではイエスと名づけています。
イエスというのは、純粋に魂に対する名称なのです。阿弥陀というのも、人間の霊魂のあり方に対するものです。阿弥陀というのは限りないということです。無限に生きる、死なないということです。無量寿と無量光、命と光の二つのものが、阿弥陀如来になっています
イエスと阿弥陀はよく似ています。阿弥陀は時間的に無限であると言っています。イエスというのは、生命の実体としての名称です。
魂というのは人間とは違います。人が生きている客体性なのです。これは人間とは違うのです。
人間というものはいないのです。人は五官にもとづいて、見たり聞いたり、飲んだりしています。その機能的状態を魂と言います。五十年、六十年この世に生きていた人生が霊です。霊は生きていた事柄なのです。
霊は人間の心の働きの状態を言っているのであって、魂というのは心の働きを造り出す機能です。五官の働きの根底、目が見えるということの根底が魂です。仕事ができる根底的な機能性を魂と言います。実は、これは人間のものではなくて、神のものなのです。だから魂は神の子なのです。
人間が魂をつくりだしたのではありません。生まれた時に、神の能力性と同じ能力性を植えられたのです。これはすばらしい能力です。これが魂なのです。
魂は、この世に生まれてきた命の名称であって、後天的な命の名称なのです。人の五官の根底は神の霊です。五官が魂ですが、五官は神から生まれたものでありますから、太陽の光の本質が分かるのです。太陽光線の中に、永遠の生命があることが分かるのです。これが魂の本質なのです。
人の百四十億の脳細胞の中に、神の命を知るだけの能力性がインプットされているのです。神の思想に基づいて自分の命を見ると、命がそのまま神の命であることが分かるのです。
イエスはこれが分かったのです。だから死を破ったのです。イエスがただ一人、典型的に、神の命を完全に生きこなしたのです。これができたのはイエスしかいないのです。私達の命の見本になるのは、イエスしかいないのです。しかも、すべての人の魂は、イエスと同じものなのです。
従って、イエスが死を破っているというのは、すべての人の霊魂もすでに死を破っているということになるのです。
キリスト紀元というのは、そういう意味なのです。イエスが死を破って以来、すべての人間は全部、イエス・キリストにおいて死を破っているのです。このような出来事をキリストと言うのです。
現在の人間は、今のままでは死ぬにきまっています。人の脳細胞には、神の驚くべき知恵が秘められている。これを開発すれば、自分の中にとこしえの命があることが、必ず分かるのです。
人間は百四十億の脳細胞を持っていながら、その使い方を知らないきのどくな状態にあります。だからそのままにしておけば、必ず死んで裁かれます。
イエスという人物はどのように生きていたのか。これを勉強すれば、脳細胞は勝手に開発されるのです。ところがこれをしないのです。
キリスト教という宗教ではだめです。本当のイエスがいないからです。魂がイエスと同じであることを知らないからです。イエスと私達の魂は同じなのです。これは天下の秘密です。人間歴史を貫く秘密です。人間の奥義です。
イエスという人は、人間の機能はどういうものであるかということを人々に教えるために、魂がまる出しで来たのです。世間並の人間とは全然違うのです。神の生みたまえる一人子とはそういう人なのです。
 

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