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未知の国、未見の我

 

般若心経の空といいますと、大変難しいもののように思えるのです。仏典が、難しい漢字でいっぱいつまっているので、極めて難しいことのように思えますが、実は、何でもないのです。
生きている人間は、死ぬにきまっているのです。これが、空なのです。何を考えても、どんな生活をしても、死なねばならないということにきまっているのです。死なねばならないということにきまっているという考え方が、釈尊の考えの中心になっているのです。
現世に生きることを考えないで、大きい命に目を向けることが、仏という言葉の意味になるのです。仏とは、解けること。人間の色々な思いが、解けることを言っているのです。「仏とは、たが言いにけん白玉の、糸のもつれのほとけなりけり」という歌がありますが、人間の思いは、こんがらがっているのです。それを解いていくのが、釈尊の悟りの中心でありまして、それを解いていくためには、空を捉えることが必要です。
何のために生きているのか分からないということは、目的なしに生きていることですが、生きていることを素直に見ていきますと、新しい世界観が開けてくるのです。
人間が現世に生きていることは、命を現在見ているのです。命を見ていながら、命の国が分からない。未知の国とは、命の国ということです。これを見つけるのです。
未見の我とは、まだ見ていない自分自身のことで、現世に生まれてきて、現世に生きているのは、現世における自分のことです。未見の我とは、永遠に生きるはずの自分なのです。
生かされている自分は、死なない自分です。生きている自分は、死ぬ自分です。生かされている自分と、生きている自分とは、全然遠います。生かされているのは、神の命によって、生かされているのです。
現在、太陽を見たり、野菜を食べたり、魚を食べて、その味が分かります。魚の味は、魚屋がつくったものではありません。これは、天然現象であって、大自然の命の働きなのです。
大自然の命の働きの魚を食べると、その味が分かります。これは、大自然の命の味が分かることなのです。落ちついて考えると、本当の命が分かるのです。
そのためには、今までの自分の考え方が、空であったことを、認めることから、始めなければならないのです。
生きている自分しか、考えなかった。生かされている自分を、まじめに考えようとしなかったことを、まず認識するのです。
生きている自分は、死んでいく自分です。生きている自分しか見ていない人は、必ず死ぬのです。こういう人は、魂のこと、霊魂のことを、全く知りません。従って、死んだらどうなるかが、さっぱり分かりません。これは、困ったことです。
死ぬというのは、現世に生きている人の経験が、凍結されることです。生きている間は、自分の間違った考え、自分の経験は、修正することができます。死んでしまえば、絶対に、方向転換はできないのです。ですから、生きているうちに、思想の方向転換をする必要があるのです。
般若心経の空は、生きている人間の考えは、頼りにならないということです。これを認めることが必要です。皆様が現在生きていらっしゃる状態を端的に言いますと、五官が働いています。目が見えること、耳が聞こえること、舌で味わっていることが、生きているしるしです。
目で見ている。舌で味わっているのは、何をしているのか。これが実は、神と交わっていることです。これは、現在の人間の常識では、全く分かりませんが、人間の常識を解脱すれば分かるのです。人間の五官が現実に、神と交わっていることが、よく分かるのです。それが分かるようになりますと、死なない命を実感していることが分かるのです。
皆様の五官は、生まれる前の機能です。生まれる前の機能ですから、生まれる前のことを、経験しているのです。例えば赤ちゃんは、この世に生まれた時に、すでに、お母さんのおっぱいの味を知っているのです。生まれる前に、それを覚えたからです。
人間には前世がありました。前世があって、現世の肉体があるのです。皆様の五官は、生まれる前に造られた機能ですから、心臓が止まっても、消えてなくなりません。そこで五官がある間に、神と交っている、神と会話している命の状態を、はっきり認識しておけば、この世を去ってからでも、神との交わりはそのまま永続するのです。これを証明し、実践してくれたのが、イエスです。
皆様は目で見ている状態において、実は神と会話しているのです。耳で開いている状態、舌で味わっている状態で、神と会話しているのです。
砂糖の甘い味は、人間が造ったものではありません。製糖会社で若干の工作をするかもしれませんが、砂糖本来の味は、人間が造った味ではありません。天然自然の味です。塩の味もそのとおりです。天然自然の味は、神が地球を造った時の味です。それが皆様の舌で分かるのです。
皆様は、砂糖や塩を味わうという形で、実は神を味わっているのです。神の味を経験しているのです。物の味とは、神の働きの味わいです。
神には働きがあります。これを神の御霊と言います。神の働きと、皆様の霊が交わっているのです。見ている、聞いてる、味わっていることが、神と会話しているのです。そのようなことを、皆様は現実生活で、毎日経験しておいでになるのです。
これを知るために、どうしたらいいのか。現在の皆様の常識、学校教育で教えられた知識を持っていてもいいのですが、それに従わないで、それを棚上げにして、自分目身の霊を素直に見るような気持ちを持って、般若心経の色即是空を考えて頂きたい。般若波羅蜜多を考えて頂きたいのです。
神と交わることはできるのです。皆様の五官は、神と交わる能力を十分に持っているのです。ただ雑念が悪いのです。世間並の常識、知識が悪いのです。これを棚上げしようという勇気があれば、皆様の魂は生き返るのです。
現在、皆様の魂は、文明や教育によって殺されていますが、神を発見し、イエスの復活を受け入れて頂ければ、皆様の魂は生き返るのです。魂が生き返れば、はっきり神とつき合うことができるのです。
神と交際する感覚を持って下さい。そうすれば、心臓が止まっても、神と交際するという能力は、止まらないのです。これが永遠の命なのです。

 

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