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人間は神から追放された

 

一番必要なことは、現在の日本人の物の考えが小さいことを知ることです。日本人は皆、西欧文明にかぶれています。これは皆様が悪いのではなくて、政治が悪いのです。
政治は、皆様の霊魂の責任を持たないのです。明治以来の日本の政治が悪いのですけれど、政治は霊魂の責任を持つ能力がないのです。持てないのです。薩長の人々が明治内閣をつくったのですけれど、その時代の人々は、革命主義の思想だけしかなかったのであって、霊魂を全然考えていない人々が、政治を造ったのです。
政治を行うと思えば、この世の流れに基づかなければ、できないのです。本来政治はまつりごとであって、人間の魂をまつることを、第一に考えなければならないのです。まつりごととは、霊魂のことをよく考えることなのです。明治以後は、そういうことを全く考えていないのです。従って、本当のまつりごとは、日本には全くありません。
欧米社会は、現実生活しか考えないのです。徹頭徹尾現実主義、現世主義なのです。これが日本の政治にしみこんでいますから、今さら政治がまつりごとをしなければならないと言った所で、しかたがないかもしれません。従って命のことは、自分で考えるしかないのです。
まず申し上げたいことは、皆様の世界観のスケールが小さいということです。皆様は、現世に生きている人間という立場からだけしか、考えないという習慣がついているのです。自分の生活、自分の家族のことしか考えないのです。それでは、とても霊魂のことは分かりません。
皆様は、昨日という時間がなければ、今日、明日が考えられないような生活をしておいでになります。これをよく考えて頂きたいのです。昨日のことを考えるから、今日があるのです。今日のことを考えるから、明日のことが考えられるのです。過去、現在、未来を全体的に考えなければ、人間生活ができないような意識を、持たされているのです。このことは、皆様の霊魂の本性と、非常に大きい関係があることを、お考え頂きたいのです。
今の学問は、人間の霊魂の本性を、全く考えようとしていません。哲学でも薄っぺらいものです。とても、人間の霊魂の本性は分かりません。
現在、日本の宗教家、思想家で、霊魂の説明ができる人は、一人もいないのです。もしいたら、現在の哲学界、宗教界をこっぴどく批判するはずです。攻撃しない所を見ると、そういう人はいないのです。
だいぶ前に亡くなられた奈良女子大学の数学教授の岡潔さんは、多少霊魂のことを考えていたようです。この人は、数学を哲学的に見ていたようで、現代の教育が霊魂をだめにする、人間の情操性をだめにすると、しきりに言っていました。こういう学者はめったにいないのです。
人間の情操性をだめにしている現代教育を、どのように建て直したらよいかということを、岡潔さんは一言も言っていません。大学教授でありながら、ただ現代教育が悪いといっていたのです。大学教授でありながら、こういうことが言える人は、よほど優れた人です。それでも、人間の霊魂のことは全然分かっていないのです。教育は情操、情緒をだめにしているのです。だから、教育に関係がある人ほど、情操がだめになってしまっているのです。
学校教育に関係がなくても、現代の社会構造の中で働いて、仕事をしてきたという自信を持っている人は、あぶないのです。社会的な自信がある人ほど魂が盲になっているのです。
皆様は、この世に生れた時から、盲なのです。特に男はだめなのです。女性は少し位は直感的に見ることができるけれども、男は全くだめです。それは、この世に生れてくる前に、深く眠らされていたからです。眠ったままで生れてきたのです。だから男は魂のデリカシーについて、物を言うことができないのです。魂のデリカシーが、全く分かっていないのです。
本当に、心からやり直そうと思われるのでしたら、深く広く考えて頂きたいのです。深く広くとはどういうことかといいますと、皆様がこの世に生れてくる前に、すでに皆様の魂は、だめになっていたということを知ることです。生まれてくる前に罪を犯した。これが原罪です。
キリスト教では、原罪が全く分からないのです。原罪という言葉を使いますが、その説明ができないのです。
原罪というのは、元からの罪という意味なのです。元からのというのは、生れる前からという意味なのです。
皆様は前世で、神を取り違えてしまったのです。自分の魂に対する見方を、取り違えてしまったのです。前世で、自分がいるという意識を持ちはじめたのです。自分がいるという意識を持ちはじめたので、神と一緒におれなくなったのです。神と一緒におれなくなったので、現世へ追放されたのです。
現世は一種の地獄です。軽い意味での地獄なのです。現世では、魂の言い訳は通らないのです。魂の言い訳が通らないというのは、一種の地獄であるということです。そういう世界へ皆様は追い出されたのです。
旧約聖書の創世記を見ますと、神が人間を追い出したと、はっきり書いているのです(3・23、24)。人間は神から食べたら必ず死ぬから、絶対に食べてはいけないと言われた「善悪の木の実」を食べてしまった。そして死んだのです。「善悪の木の実」を食べたら、なぜ死んだことになるのか。自ら善悪を判断することが、なぜ死んだこたになるのかと言いますと、第一に神から離れて独自の場に立ったことが、死んだことを意実するのです。神は命です。人間は自ら創造することができません。神という命の実物から離れたことが、死んだことです。
次に、人間は自分で本当の善悪を判断する立場にあるかということです。本当の善悪を判断を判断するためには、無限の時間と無限の空間に立たなければ、公平な判断ができないのです。ところが人間は有限の時間と、有限の空間に立ってしか判断することができない。自分の都合のよい判断しかできないのです。これが間違っているのです。そこで神と一緒にいることができなくなって、エデンの園から追い出されて、地球に追放されたのです。
人間は追い出されて、この世に来たのです。だから、皆様の魂は、生れた時から盲になっていたのです。
魂の原形が、イエスです。これが生ける神の子であることが全然分からなくなってしまったから、神の元にいられなくなった。現世という人間ばかりがいる世界、神がどこにもいない世界へ、放り出されたのです。
これは、はっきり刑罰です。現世で刑罰を受けながら、自分が間違っていることを生活で感じたものだけが、神の所へ帰れるのです。
皆様はこの世に生まれてくる前に、もう罪を犯していたのです。神から離れていたのです。これを業(ごう)というのです。業の人間が、業ばかりの人間の世界へ、放り出されたのです。
ここで本当に目を開くことができる人は、よほどの人です。もし現世で魂の目を開くことに失敗したら、必ず本当の地獄へ落とされます。これが火の池です。そこでひどいめにあわされるのです。
人の魂は神の子です。神の子である魂が、悪魔の子になっている。現世のことしか考えられない人間になってしまっている。これを悪魔の子というのですが、この責任を、魂が全部持たなければならないのです。神から出てきたものですから、死ねないのです。永遠に死ねないのですから、地獄に行かなければならないのです。現世を去ってからどうしたらいいかを、考えなければならない責任があるのです。
これが魂の責任ということで、これを果たすためには、イエス・キリストが復活したことを、どうしても勉強しなければならないのです。
イエス・キリストが復活して、人間が死ななくなってから、1900年以上にもなるのです。ところが、未だに人間が死んでいくのです。こんなばかなことが、あるはずがないのにあるのです。なぜか。神がイエス・キリストを十字架につけて、人間の原罪を帳消しにしたことを、素直に信じないからです。
人間はよほど業が深い生き物です。世間並の人間の考えではだめです。生れる前の魂の姿に気づいて頂ければよいのです。生れた後の自分の姿はだめです。難しいと言わずに、もっとスケールを大きくして頂きたいのです。
 

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