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般若心経と聖書の関係


般若心経と聖書とでは概念の本質が違っています。般若心経は、普通の人間が修業をして悟ったという形式をとっています。恐らく観自在菩薩というのは、ゴーダマ・シツタルダーという人物の別名だと思われます。
ゴーダマ・シツタルダーという固有名詞の人間は、本来存在していないのです。宇宙的に言いますと、固有名詞の人間はいないのです。ゴーダマ・シツタルダーは存在していない。それは悟る前の彼の名前であって、悟ってしまいますと、阿弥陀如来になったり、観自在菩薩になるのです。悟る前の人間と、悟った後の人間とは、存在の形式も違うし、価値も違うのです。
イエスという人物にもそれが言えるのであって、現世に肉体的に生きていた彼と、死人の中から復活した彼とは、全然違うのです。人間は、こういうことについて考える精神の自由さを持っていないのです。
東洋とか西洋とかいう狭い考えが間違っています。人の魂に、東洋も西洋もないのです。そういうことを考えるのが、間違っているのです。キリスト教という宗教、仏教という宗教があると思うのが間違っている。般若心経によれば、そういうものはないのです。
ところが、人間は、仏教大学とかキリスト教大学を認めている。般若心経も聖書も、そういうものを認めていないのです。政治的な文化思想に基づいて、宗教大学ができているのです。政治的文化思想と人間の魂は全然違うのです。
釈尊は一体何を悟ったのか。これが日本では分からないのです。釈尊の本当の悟り、仏法は日本にはありません。日本にあるのは仏教ばかりです。
仏教というのは、例えば日蓮の信仰が日蓮宗になっています。親鸞の信仰が浄土真宗に、法然の信仰が浄土宗に、道元の信仰が曹洞宗になっているというように、それぞれの教祖、お祖師さんがあるのです。お祖師さんがつくったのは、それぞれの宗派であって、これは仏陀の悟りではありません。釈尊の本当の悟りは、明けの明星を見ているのです。日本人には明けの明星が分からないのです。
日本で明けの明星が説明できる専門家は一人もいないでしょう。ところが、驚くべきことに、新約聖書を徹底的に勉強していきますと、明けの明星の秘密がはっきり分かるのです。西洋文明の基礎である聖書の基本的な事実と、釈尊の悟りの真実は、実は一つなのです。
釈尊の悟りをぬきにしては、日本人は聖書を理解することは難しいのです。この点から言えば、悟ることと、信じることとは、同じことなのです。これを別々に考えるのが、現代人の思考の不自由さなのです。現代の人間は、現代文明の概念で頭が束縛されている。だから、自由に物事が考えられなくなっているのです。
仏陀の悟りがはっきり分からなければ、イエス・キリストの信仰は分からないのです。本当の神を知るためには、自分がまず仏にならなければだめなのです。本当の永遠の命の実物をつかまえるためには、自分がまず成仏しなければだめなのです。
ですから仏教ではない般若心経と、キリスト教ではない聖書を一つにしなければ、本当の命は分からないのです。東洋も西洋もないのです。キリスト教も仏教もないのです。今の命にとらわれないで、白紙になって物事を見なければならないのです。
人の霊魂は、永遠に生きる機能をもっています。だから、霊魂のことをまともに考えなければならないのです。まずそのために必要なことは、五蘊皆空です。
人間は今幻覚を見ています。幻覚を信じているのです。目に見えるとおりのものがあると思うのは、幻覚なのです。そういう考えに踊らされているのです。
唯物思想を今の人間は信じています。これはレベルが低いものです。現世でいくらよい生活をしても、必ず死にます。今の文明は死んでいった人間が造ったものですから、やがて潰れます。そういうものを信じていると、滅ぼされます。だから、魂の目を開かなければならないのです。
現世に生きているのは本当に生きているのではないのです。仮に生きているのです。仮に生きている間に、現実にある本当の命をつかまえなければならないのです。
現実は、驚くべき神の実体の証明なのです。太陽が輝いていること、心臓が動いていること、目が見えること、花が咲いていることが、そのまま神の証明なのであって、現実は神の実物なのです。これが分かればいいのです。現実に生きている命こそ、死なない命であることが分かるのです。
今、人が生きている現実の実体をつかまえるのです。これは学問ではありません。宗教でもありません。具体的な現実なのです。真実なのです。そこに神があるのです。
人間は、現在、神を経験しているのです。神の実物を経験しているのです。神の実物を経験していながら、それが神であることが分からないというのは、魂がどうかしているのです。これが分かりますと、死んでからのことが分かるのです。
本当の命をつかまえるということは、決して難しいことではありません。
現代人は文明思想にだまされて、ごまかされて、頭が自由に働かなくなっているのです。学校教育を受けたために、頭が非常に悪くなっているのです。これが、現代教育の最大の欠陥です。今の人間は、現代文明にすっかりだまされているのです。
現代文明の基礎をつくったのはユダヤ人達です。ある目的のために、世界中に文明思想をばらまいているのです。現代文明によって人間をごまかそうと考えているのです。これが原水爆の問題になって現われているのです。日本人は世界的な視野で考えることができないのです。
釈尊とイエスを一つに考える頭になりますと、考えが大きくなります。魂は自分の問題ですから、自分が責任を負わなければだめです。文明に任せても、私達の魂の責任を持ってくれないのです。
現在恐ろしい死の誘惑があります。死とはどういうものか、人間の頭を固定させてしまうことが死ぬことなのです。宗教に凝り固まる。学問に凝り固まる。これが死んでいくことなのです。
死から出るというのは、こういう考え方から出ることです。そうすると死なない命が分かるのです。
 

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