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魂と人間

 

人間が現在生きているという気持ちは、はかないものです。死ぬにきまっていることが分かっていながら、それをどうすることもできない。死にたくないという気持ちを持っていながら、死にたくないという畢生の望みを、捉えることができないもどかしさがあります。これは、実は、命を間違えて考えているからです。
命には、死ぬにきまっている命と、死なない命と、二つあるのです。死ぬにきまっている命は、肉体的に生きていることを、自分の命だと考えていることです。肉の思いは死であるという言葉がありますように、肉体的に生きている命を自分の命だと考えていますと、死ななければならない命を受けとめていることになります。
もう一つの命は、肉体的に生きている命ではなくて、命の本質が何かを考えることです。肉体的に生きているのは、一つの状態です。コンディションですが、状態的な命ではなくて、本質的な命を見ようと考えたらいいのです。そうすると、死なない命が分るのです。
命の本質は何かというと、魂ということなのです。聖書に、生ける魂、リビング・ソールということばがあります。リビングしているソールなのです。生きている魂を自覚するようになれば、死なない命が分かってきます。
魂と、人間は別なのです。これがややこしいのです。人間と魂は同じものだと宗教家は言います。そのように、ごまかすのです。これがけしからんのです。
固有名詞の人間は、世間に通用する人間です。これを自分だと思っていると、必ず死にます。絶対に死にます。
イエスは固有名詞の自分、人間としての自分を、自分だと思わなかったのです。彼は、自分の母親に向かって、女よ、おまえと私と、何の関係があるかといっているのです。何の関係があるかといっても、親子なのです。それなのに、こんなことを言っているのです。これは、イエスが、ナザレ村の大工であることを、忘れていた証拠です。イエスはこういう男です。
魂が自分であることが分ると、人間としての自分が、自分ではないことが分るのです。
魂とは何かと言いますと、理性と良心、五官が肉体的に働いていることを言います。これが神の子なのです。イエスは、私は生ける神の子であると言ったのです。
リビング・ゴッドの子であるといっています。生きている神の子が、リビング・ソールなのです。リビングという点では、神も、人間も同じなのです。人間が鼻から息を出し入れしていることが、リビングなのです。目が見えることが、リビングなのです。これに気づくことです。この本質が分かると、死なない自分が分かるのです。
魂というのは、生活機能の精髄、エッセンスなのです。霊魂が分りますと、情緒ががらっと変わってくるのです。例えば、花を見ても、ただ美しいというだけでなくて、美しいということが、魂の命に重大な関係があることが、分かるのです。
なぜかといいますと、人間の脳は、5%位しか働いていないからです。あとの95%は、眠っているのです。だから、今の人間は生きているかっこうをしているけれど、本質的には死んでいるのです。脳の95%が眠っているからです。
聖書に、眠れる者よ起きなさいという言葉があります。今は、眠りよりさむべき時であるという言葉もあります。死人のうちから出できたれといっています。この通りになっているのです。人間の脳細胞は、眠っています。この頭で、物事がいいか悪いかの判断ができるはずがないのです。
人の命の本質が、魂なのです。目がみえること、視覚意識の根源が、魂の情緒なのです。魂の情緒が見ているのです。花が美しいということと、永遠の命と、非常に大きい関係があるのです。美しいとはどういうことかが分りますと、死なない命が見えてくるのです。これが、イエスの見ていた見方なのです。イエスが、どのように見ていたかを勉強すれば、分かってくるのです。
例えば、マグロの刺身を食べるとします。マグロの味は、魚屋がつけた味とは違います。花の美しさは、花屋が造ったのではないのです。そうすると、誰が造ったのか。天地の公義が造ったのです。自然法の原理が、造ったのです。
味とか、かおりとか、美しさが分かってきますと、魂が始めて目をさますのです。人間は、五十年、六十年生きていて、美とは何かということを、魂の角度から見たことはないのです。
一番重要な美は、女性の美しさです。これが分っている人は、めったにいないのです。女性の美しさは、どんな花よりも、どんな景色よりも、美しいのです。これが分ると、魂は、はっきり目をさますのです。今までの享楽主義的な見方、自分の家庭のふるまいが、間違いであったことが分ってくるのです。その時に、本当の人生が分ってくるのです。
人間は、現在、命を経験しているのです。ただ、経験のしかたが悪いから、死んでしまうのです。
これをよく考えて、魂の勉強をまじめにするのです。魂の勉強をすることが、この世へ生れてきた目的なのです。商売をすることが目的ではない。給料をもらうことが目的ではない。魂の勉強をすることが目的なのです。そのために、五官という機能が与えられているのです。
今までの命は、死んでいる人間の命です。生きている人間の命を、経験しなければならないのです。これが、死なない命を得る方法です。
 

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