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万人の典型


人間が理性を持って生きていることは、非常に大きい意味があるのです。私達の理性は、地球の理性を意味するのです。
地球はただの惑星ではなくて、生物そのものなのです。地球から発生するものは、皆命があります。地球に命があるからです。
地球は生きています。この地球を管理することが、人間本来の目的なのです。現在の文明は、地球を踏みつぶすこと、食い尽くすことに一所懸命です。これは地球を破壊するだけで、地球を管理することにはならないのです。
人間は食い尽くす方だけに回っているのです。地球から出てきたものは食べてもいいのですが、天地万物が存在することに対して、責任を持たなければならない。これが人間の目的なのです。
もし皆様が命の本質がお分かりになって、イエスが復活したことがお分かりになると、死なない命を経験できるのです。そうすると、動物や植物に対して、本当の命を教えてあげることになるのです。
この方法が、地球の本当の管理なのです。人間は万物の霊長であるといいます。神は天地の主宰であって、人は万物の霊長であると言われています。これはどういうことかといいますと、神は命の本体です。自分から出て、神の命と一体となるのです。太陽光線の明るさ、暖かさ、エネルギーが、命の本源です。この中へ入っていくのです。この時永遠の命が分かるのです。
自分の命があると考えていますと、皆様の命は神から分離された、個人の認識による命になってしまうのです。この状態が、死を意味するのです。
人間の命は、万物全体を貫いて存在する命であって、皆様は地球の命を経験しているのです。この命を捉えることができますと、地球を管理することができるのです。そして、万物に命を教えてあげることができるのです。
イエスの復活は、これを証明しているのです。イエスができたことは、皆様ができるにきまっているのです。やる気があるかないかだけなのです。
人は何のために生きているか。この世に生きるためではなくて、永遠に生きるために生れてきたのです。太陽の命と皆様の命は、本来一つのものでなければならないのです。肉体存在の自分という意識から離れてしまいますと、太陽と同じ命の本質が、はっきり分かるのです。
これは宗教ではありません。イエスが復活したことは、歴史的な事実なのです。この歴史的事実を勉強しようとすれば、皆様は、必ず本当の命をつかまえることができるのです。
皆様が飲むこと、食べること、起居動作の一つ一つの内に、地球の命を経験しておいでになるのです。一杯の水を飲んでも、その味がそのまま永遠の命なのです。これが分かるまで、勉強をしようというお気持ちを持って頂きたいのです。
皆様が今生きている命は、仮の命であって、こんなものを本当の命だと思っていたら、必ず死にます。死んでから、ひどい税金をとられることになるのです。
皆様は、充分に、本当の命を確認するだけの実力はあるのです。理性はそれを知っているのです。ところが皆様は、本当の理性の力を用いないで、現世の常識だけで生きておいでになります。これが間違っているのです。常識を捨てて、理性の目が本当に開くような勉強をして頂きたいのです。これが現世に生まれてきた人間の目的なのです。
人間の五官の本性は生まれる前からあるものです。赤ちゃんは生まれた時に、既にお母さんのおっぱいの味を知っていますから、生まれた直後におっぱいを吸うことができるのです。おいしい味とおいしくない味を、すでに知っているのです。生まれてくる前に、教えられていたからです。人間の五官の本性は生まれる前からあると言わなければならないのです。生まれる前からあるものは、死なないのです。
生まれる前の命は死なない命です。皆様の五官の本性は、死なない命をそのまま体得していらっしゃるはずです。五官の感覚と同じように生活できれば、死なない命で生活できるはずです。
五官というのは目で見たり、耳で聞いたり、手で触ったり、鼻で匂いを嗅いだり、舌で味わったりしていることです。命の本質の働きが、そのまま五官になっているのです。
大自然とは何か。天然自然、おのずからなる事実が大自然として現われている。これは雲の流れを、じっとご覧になれば分かります。雲の流れは人間が造ったものではありません。おのずからなる自然現象です。天然が自然になって現われている。これが大自然の根本原理です。
皆様の五官は、大自然の根本原理に接触することができるのであって、本性が魂に働きかけているのです。魂と本性とは少し違います。本性というのは、例えば花が咲いていることに現われています。地球の命がそのまま自然現象として咲いているのです。
バイオテクノロジーは、自然現象の真似をしているのですけれど、バイオの考え方の根本原理はやはり自然現象です。自然現象の本質は何かと言いますと、言葉です。天然が言葉を出している。語っているのです。おのずからの命が、おのずからの本性を語っている。これが花が咲いていることです。これは死なない命の実物です。これを皆様の直感は、きれいとか、美しい、おいしいと捉えているのです。
天然は物を言っているのです。天然とはおのずからです。日本的に言えば、お天道さんです。お天道さんが物を言っているのです。人間の精神に対して語りかけているのです。砂糖が甘いというのは、味を通してお天道さんが魂に語りかけているのです。
皆様の魂は、それを見たり、聞き分けたりすることができるのです。つまり皆様の命の本性は、言です。だから天然自然の言を聞き分けたり、見分けたり、味わい分けたりしているのです。
聞いてみる。味わってみる。嗅いでみるのです。皆様の本性は、言です。大自然をみるのです。天然現象を理解するために、これを見分ける力を持っている。
天然自然の言、大自然の言、宇宙の命から流れ出す言が、皆様が生まれる前に持っていた命の本性であって、命の本性が肉体を持って現われているのを、人間というのです。
命の本性が肉体を持っている状態を、魂というのです。魂とは、言が肉体を持っている状態をいうのです。この魂の目が開きますと、大自然の命がわかってきます。従って、死なない命が分かるに決まっているのです。
人間は地球から生まれてきたのですが、地球を生んだのが言です。太陽系宇宙の存在原理が言です。これを魂は捉えることができるのです。これが死なない命であって、人間の魂の本性です。
天然自然の命に対して、心を開けばいいのです。
命は一つしかありません。砂糖が甘いということが命です。電灯がついていることが命です。人の魂は、この命を聞くことができるのです。
魂の本質は、大自然によって語られている言を聞き分けている。花がきれいということ、魚がおいしいということ、果物がおいしいという形で、自然現象を聞き分けて、弁える力を持っているのです。
これが死なない命の本体であって、学校教育、社会教育は生活には必要ですが、命に関しては全く無価値です。
学校へ行ってもいいでしょう、良い給料をもらうために学歴もプラスになるかましれませんが、給料をもらうことと、命の目が開くということは、次元が違うことです。テーマが違うのです。
どれだけ学校へ行こうが、どんな宗教を勉強しようが、命が分かるのではありません。皆様に必要なことは、先天性の命に目が開かれることです。これができれば、死なない命がわかるのです。
花がきれいということが分かる人は、その本性に帰ることが十分にできるのです。これが般若ハラミタの本当の心です。
新約聖書テモテへの手紙の中で、パウロは、神はすべての人が救われて真理を悟ることを欲したもうと言っています。イエスは、人の子を信じてとこしえの命を受け取ることは、神の願いであると言っています。
神自身の願いとは、地球が造られた目的のことなのです。イエスは人の子である事実を認めてもらって、復活を許されて天地自然の裁き主として、キリストという正当な位を与えられた。彼だけが人の子であることを、神によって公認されたのです。これ以外の人を神は認めていません。
イエスの人となりは、万人の典型です。神の前に一人のイエスが立っている。その後ろに何千万、何億の人が一列縦隊で立っているのです。神の前に立っているのはイエスだけです。神の目に見えるのはイエスだけであって、イエスの影になっている人は全部救われます。
イエスの影から出ている者はすべて否定されます。神はイエスだけしか認めていません。これが仏説阿弥陀経の原理です。阿弥陀如来という仏さんがいるのではない。イエス・キリストを抽象概念として、宗教的に人格化すると阿弥陀如来になるのです。
阿は無です。弥陀は限りです。阿弥陀とは無限です。阿弥陀如来とは無限に生きている仏さんということです。これが皆様の霊魂の本体です。
実は女性はこれを狙っているのです。男性を欲しているのではありません。たった一つしかない命の原点を狙っているのです。
女性は白馬に乗った王子様を狙っている。生きているうちに、すばらしいことがあるに違いないと、女性は勝手にうぬぼれている。生きているうちにあるすばらしいことは何かと言いますと、すばらしい人が迎えに来てくれると思っているのです。これは女性心理の最高です。
すばらしい人とはイエスのことです。阿弥陀如来のことです。阿弥陀如来であるイエス、イエスである阿弥陀如来です。ユダヤ的な約束から離れて、象徴的に又は、抽象概念としてイエス・キリストを概念化すると、阿弥陀如来となるのです。
無量寿如来に帰依するのです。これはキリストの復活の中に入ってしまうことです。これしかないのです。女性が求めている最高の理想の男性はこれしかないのです。神の御霊を受けるとは神の約束を受けることです。神の約束の実体が神の聖霊です。これを受け取ると、神の約束によって発言できるのです。
皆様の今の命は、唯一の命、とこしえの命をつかまえるためにあるのです。

 

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