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カルマ

 

人間のカルマ、即ち業(ごう)について、はっきり説明ができる宗教家は、いないでしょう。仏教大学の先生でも、カルマがなぜあるかが、説明できないでしょう。
 カルマを説明するためには、天地が何のために造られたか、地球が何のために存在するかを、説明しなければならないことになるのです。
 地球ができたことが、地球のカルマです。万物があることが、万物のカルマです。地球のカルマを解決することが、人間のカルマです。これは大きすぎて分からないかもしれませんが、天地万物があるのは、その理由があるのです。この説明は宗教家ではできないのです。
 何のために地球ができたのか。これを仏教の教祖は、一言も説明していません。大日如来とか、遍照金剛と言いながら、何のために大日如来があるか、何のために遍照金剛があるかを、説明していません。彼らは、天地のカルマの由来を知りません。どんな大本山の大和尚でも、これについて教えてくれないのです。
天地ができるには、できるだけの理由がなければならないのです。空が青いのも、理由がなければならないのです。
森羅万象が、地球には無数にあるのです。これは地球だけの現象です。地球以外に森羅万象がある惑星は、一つもありません。なぜ地球にだけ万物が満載されているのであろうか。ここに神の意志があるのです。
神は、『おのずから』という人格です。神は絶対です。最高です。宇宙に、絶対、最高、唯一の人格があります。これが地球を造っているのです。
カルマの原因を簡単に言いますと、死ぬという厄介なことが、宇宙に発生したのです。死の法則というものです。死の法則が宇宙に発生したので、これをなんとか征伐しなければならない。死を自滅させなければならない。死をなくさなければならないのです。
死をなくする方法は、ただ力によって叩き潰してもだめなのです。死の法則の元凶を外道と言います。聖書的には悪魔と言いますが、神に対抗する外道、死神みたいなものができたのです。死の法則ができたので、これを自滅させるために、神が天地を造ったのです。
天地ができたことは、カルマに基づいてできたのです。人間は万物の霊長として、理性と良心を与えられていますので、天地ができたカルマを果たすことができるのです。人間の体は、一メートル数十センチですが、地球全体と同じ要素を持っているのです。大きさは、地球と人間とは全然違いますが、人間の肉体は地球のあらゆる要素、土も鉄も、金もダイヤモンドも、動物も植物も、あらゆる物質、あらゆる生物の、あらゆる要素が人間の肉体の中に入っているのです。
人間存在の原理が分かって、自分自身が解脱する、救われることを経験すれば、地球全体を救うことができるのです。これが、人間の非常に大きい責任なのです。地球にかわって、地球のカルマを果たすことが人間自身のカルマなのです。
カルマは、ノルマと同じ意味なのです。果たさなければならないのです。ところが、カルマの本当の内容が分からない。又、果たし方が分からないために、ノルマを果たさずに死んでいく。今の人間は全部死んでいくのです。そうなると、ノルマを果たさなかったとい刑罰を受けなければならないことになるのです。
今の地球は、不完全なものです。アメリカ、ロシアが持っている一万五千発の原水爆を一度に爆発させますと、地球が壊滅してしまうのです。地球が無くなってしまうのです。人間はそこまで力を持っているのです。
そこで、地球を破壊する能力を持っている人間は、いわゆる砂漠がある、地震があるとい安っぽい地球ではなくて、洪水も、地震、病気もない、完全無欠な地球を造り出す能力持っているはずです。それをイエスは証明したのです。
彼は死を破った。これが復活という事実であって、これは宗教の問題ではないのです。日曜日は、イエス・キリストが復活した記念日なのです。イエスが死を破った、復活したことについて、勉強する気持ちになりさえすれば、復活が分かるのです。
今の人間の命は、必ず死ぬものです。これを自分の命だと思っていると、必ず死にます。これが、人間のカルマです。カルマを果たさずに死んでいきまと、大変のことになります。
人間は万物の霊長であるからこそ、何を食べようと、何を飲もうと、自由なのです。人間の特権を活用して、現実に食べたいものを食べています。だから、それに対する責任を果たさなければならないことは、当たり前のことなのです。
この責任を果たすとどうなるかと言いますと、現在の命ではない、別の命が与えられるのです。この責任を果たそうという気持ちを持てば、本当に果たしてしまわなくても、今生きている命ではないもう一つの命が与えられるのです。
これが、カルマというものであって、自分自身のカルマは、宇宙のカルマを代弁しているのです。このカルマは、地球を全滅させてしまうカルマなのです。
これに気がついて、自分自身のカルマを征伐したいという真面目な気持ちを持つことです。そうしますと、今持っている命ではない別の命が分かってきます。カルマを果たすことと、永遠の命を受け取ることは、同じ意味になるのです。
魂というのは、人間の理性と良心が肉体的に現われている状態を言います。理性の理とはロゴスです。これは言、事とも言います。ロゴスとは天地の道のことです。生理の理、心理の理です。理が肉体的な形で現われている状態を、魂と言います。
ところが、実は肉体は存在していないのです。般若心経に、色即是空とありますように、色は目に見える形で存在している現象を示しています。これは空なのです。色はすなわ空です。
なぜかと言いますと、皆様の肉体は自然現象です。例えば空気の働き、水の作用によって、魚、牛、野菜がだんだん成長します。それを人間が食べています。成りいでものというのは、初めからあったものではないのです。小さい大根が、大きい大根になっていくのです。初めからあった大根ではなくて、できた大根です。できた空気を吸い、できた水を飲んでいるのです。
太陽光線が地球に、無限に供給されているのです。そのお陰によってできたものを、皆様は召し上がっているのです。従って皆様の肉体があるのではない。大自然の働きがあるだけなのです。大自然の働きが、人間の肉体になって現われているのです。
大自然の働きの原理は、理です。これが皆様の肉体になっているのです。これを魂というのです。魂があるかないかということより、現に皆様が生きているという事実があるのです。これを魂というのです。
今の日本人はだいたい勉強が足りないのです。こういうことを本当に勉強しているお坊さんも牧師さんもいないのです。神主さんは全然考えていないのです。はっきり言いますと、宗教家はだいたい嘘つきなのです。嘘を言っている訳ではないかもしれませんが、自分が言っていることが正しいと思っているから、結果的に嘘を言っていることになるのです。だから悪いのです。
宗教は人間が造った理屈です。魂は人間が造った理屈ではありません。天地の命が私たちの体に現われているのです。命が体に現われている状態を、魂というのです。犬や猫は弁える力がない。だから魂とは言わないのです。人間は弁える力があります。だから魂というのです。ここが違うのです。
物事を弁える力とは、神と同じ力を意味するのです。人間は現在生きていながら、神の子であるのです。魂という言葉は、神の子であることを意味するのです。
皆様はどこから来たのか、死んでからどこへ行くのか、さっぱり分からないでしょう。それは魂としての自覚がはっきりしていないからです。魂の自覚がはっきりすれば、死とはどういうものか、死んだらどうなるかが、わかるのです。
生きている問だけが人間ではないのです。生まれてくる前があったのです。皆様がこの世に生まれてくる前に、皆様の命の原形があった。それがこの世に生まれてきた。やがて、この世を去っていきます。過去世と現世と来世の三つの命がありますが、これをひっくるめて命というのです。この全体を人生というのです。現世に肉体を持っている間だけが人生ではないことを、よく考えて頂きたいのです。
魂という言葉は、現世に生きている間だけを意味するのです。死んでしまいますと亡霊になります。
宗教を信じている人はたくさんいます。しかし、本当に命の実体を勉強しようという人が、ほとんどいません。だから皆様は、人間の考えが根本から間違っていることに、まず着眼して頂きたいのです。
間違っていることを知らなければ、勉強しようという気持ちが起きません。勉強といっても、本を読むとか、座禅をくむとか、滝に打たれる必要はないのです。現在皆様は生きておいでになるという事実があります。この事実を真面目に見ればいいのです。
イエスは、生きているという事実を真面目に考えたので、死を破ったのです。日曜日はイエスが死を破った記念日です。イエスが復活した記念日が日曜日なのです。日曜日には世界中の人がほとんど休んでいますが、これには非常に大きい意味があるのです。日曜日の意味をよく考えれば、死なない命が見えてくるのです。

 

 

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