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霊魂の本質


人生の根本問題について、現代人は大変考えにくい条件におかれています。悪い環境におかれているのです。なぜかと言いますと、近代文明はいわゆる学問的な考えが、社会思想の中心になっているからです。
生きるということを、世間並に生きること、社会通念に従って生きることのように考えている。そう考えることが、ほとんど決定的といえる状態にあるのです。
ところが社会通念は、非常に無責任なものでありまして、肝心の命のことを全く考えていないのです。
例えば、大学で取り上げている学問には、命に関することは一つもないのです。医科大学では、病気のこと、病理のことは教えますが、命のことは全然教えません。病気の問題と、命の問題は全然違います。よく似ている点はありますが、本質的に病気は病気、命は命です。全く違うのです。
現在、日本の医者で、命が分かっている人は一人もいません。これが近代文明の致命的な欠点です。
世間並の文化意識、文明意識で生きている人は、必ず死ぬに決まっているのです。
現代人は、生きていながら、皆不幸せです。全世界68億の人間は、全部不幸せを丸呑みにして生きているのです。人生とはこんなものだ、世間並に生きることは、不幸せを丸呑みにして生きることだと考えてしまっている。
そのくせ、幸せになりたいと考えているのです。幸せになりたいと考えながら、不幸せの状態で、怨んだり、憎んだり、陰口を言ったり、不信感、不平、不満を一杯持っているのです。そういう状態が、当たり前だと考えているのです。
そんな状態で生きていれば、必ず死にます。死ぬだけではなくて、死後における魂が受ける負担は莫大なものがあるのです。生きている間の不平不満が、その人の記憶となって、一杯つもっている。一日生きれば一日、一年生きれば一年と、色々雑多な不満、不平が、その人の腹の中に堆積してしまう。それが記憶になっていくのです。
その記憶を持ったままで、この世を去ることになりますと、不合理千万の状態を呑み込んだままで死んでいくのですから、人間の魂は死ねばそれでしまいという訳には、いかないのです。
皆様の霊魂の本質は、永遠性のものです。人間は自分の命を、勝手に生きているのではありません。宇宙的な、絶対的な制約に基づいて生きているのです。
例えば、太陽がなければ人間は生きていられません。空気の流動がなければ、水がなければ、生きていられません。大自然という絶対的な天然資源がなければ、人間は生きていけないのです。
人間は、百パーセント自然の条件に従って生きているのです。人間の命は、自分自身のものではないのです。ところが、命に関する一番大切なテーマを、現在の学問は全く勉強しようとしていない。だから勝手に不幸になっていくのです。
今の世界68億の人間は、全部不幸せです。本当の幸せを知らないのです。世間並の人間が、全部同じように生きているから、私も不幸せでもやむを得ないと考えている。これを敗北思想と言います。死んでいくのはしかたがない。人に怨まれたり、人を怨んだりしているのが、当たり前だと考えている。そして、勝手に自分を不幸にしているのです。
自分の生活の基本的な問題を取り上げて、考えようとしていない。ただ生活におしまくられて、その日その日を、有頂天になって生きている。バカなことをしているのです。全くバカなことをしているのです。
ことに日本社会は無責任そのものです。宗教が第一に悪いのです。神という言葉を使いながら、神の実体を教えでいる宗教は一つもありません。ただ自分の宗教、宗派が、勝手な執弁をふるっているのです。自分の宗派の教義を、人に押し売りしているけれど、それが本当の神であるという証明は、どこにもありません。
学問もそうです。自然科学が絶対的なもののように考えています。情報通信機器の驚異的な発達、コンピューター、エレクトロニクスの目覚ましい発達、バイオテクノロジー、ロボット、分子工学のすばらしい発達は、人間生活に便利さを与えますが、それは単なる生活の知恵です。政治も経済も、社会の発展も、生活の知恵です。
日本の社会は、生活のことは考えますが、生命のことは全く考えないという、無責任そのものの社会です。アメリカも、ヨーロッパも同じですが、日本の社会はひどいようです。全くエコノミックアニマルです。エコノミックというのは、上等すぎる生活アニマルという意味です。生活に奉仕してはいるけれど、リビングの本当の意味を勉強していないのです。
心臓が動いているということの意味を、本当に勉強しようとしていません。そんなことで、人間が幸せになれるはずがないのです。政治家も、大学教授も無責任です。ただ月給を取っているだけなのです。命に対する責任感を全然持っていないのです。
だいぶ以前になりますが、日本で一番最初にノーベル賞をもらった湯川氏が、雑誌に書いていました。私は学校で、物質は存在しないと学生に教えているが、家に帰ると物質があるという気持ちで生活している。自分でもおかしいと思っているということでした。
これが学問の正体です。学校で教えている表向きの思想と、家庭で生活している本音の思想と、全然違うのです。建て前と本音が、全然違うのです。二重人格です。こういう人がノーベル賞をもらっている。二重人格にノーベル賞を与えるほど、現代文明はいいかげんなものです。文明そのものが、非常に無責任な、無定見な、ばかばかしいものです。
皆様は文明社会に生きていますと、世の中の無責任さが、当たり前のように感じられるのです。
世界の人口は、無限に増えていきます。ところが、食糧や天然資源は、無限に増加していきません。環境破壊も進んでいきますし、地球汚染も進行しています。犯罪も増加し、核兵器の拡散も進むでしょう。やがて、文明は行き詰まるに決まっています。世界全体の文明が、物理的にも経済的にも、だめになるのです。
このことが分かっていながら、政治家も学者も、正当な手を打とうとしていない。自分たちが生きている間は、何とかなると考えているのです。どうせ自分は死ぬのだから、後のことは知らないと思っている。五十年後、百年後の地球に対する責任を、持とうという指導者がいないのです。
五十年、百年先まで考えていたら、ばかばかしくて、政治家や大学教授はできないでしょう。そのように文明は無責任なものです。全くおかしい文明を造っているのです。それでよく民衆が文句を言わないと私は感心しているのです。
皆様は、自分が死ぬことが、はっきり分かっているはずです。ところが、死んでいく自分から逃げ出そっと考えない。死んでいくに決まっている自分を自分だと思い込んでいる。なぜそんなバカなことを考えるのでしょうか。
死んでいくに決まっている人間を自分だと思っているのは、現在の人間の社会通念です。現在の人間の社会通念に、皆様が服従しなければならない理由はありません。命のことを勉強していないので、死ぬとか生きることが分からないのです。
一体死ぬとはどういうことか。生きるとはどういうことなのか。生きていながら命が分からない。死が分からない。そのくせ、死ぬのがいやです。だから、ちょっと病気になると、あわてて病院に行くのです。
こういう生活が、不幸せの見本です。そういう不幸せの生活を、当たり前だと考えている。民主主義、基本的人権といって、本当の自分の幸せを求めようとしない。訳の分からない人間が、68億も、この地球上で、押し合いへしあいしているのです。
宗教は無明煩悩の人間を甘やかして、これに迎合し、人間の罪業に迎合して、商売をしているのです。人を集めて、お金儲けをしているのです。それだけのことです。皆様の命に対する責任は、一切持ってくれないのです。
神を説いているキリスト教も、仏を説いている仏教も、両方共嘘です。聖書は嘘ではありません。般若心経も嘘ではありませんが、聖書の読み方、般若心経の読み方が間違っているのです。
般若心経や聖書は、宗教ではありません。人間の命に関することを、ずばりと真正面から述べているのです。それを勉強している宗教家が、皆間違っているのです。彼らは宗教の専門家ではありますけれど、本当の意味での彼岸へ渡る心、神を信じる心を持っていないのです。神の実体が分からないから、神を信じようがないのは当たり前です。皆様は世間並の考えで生きておいでになります。そうすると、皆様の人生は、ものの見事に失敗します。現在すでに失敗しているのです。
五十年も六十年もこの世に生きておいでになって、本当に何をしていらっしゃったのでしょうか。食って寝て、食って寝て、子供を産んで育てただけです。こんなことは、犬や猫でもします。人間である以上、犬や猫と同じことをしていても、しょうがないのです。犬や猫と私たちの命は、命の本質が遠いますから、人間は人間としての考えを持たねばならないのは、当たり前のことです。
そこで皆様は、死ぬべき自分から逃げ出そうと、真剣に考えてみませんか。本当は人間の命は死なないのです。死ななければならないと老えているのは、命の実体を全く認識していないからです。
死なねばならないと、勝手に思い込んでいる。死にたくないとはっきり人に言えないほど、皆様の気持ちは萎縮しているのです。
日本で般若心経を読んでいる人は、一千万人位いるでしょう。ところがその意味が分かっている人は一人もいないのです。これは全くひどいものです。坊主はそれを利用して、商売の道具にしているのです。
ローマ法王は嘘つきの本家みたいなものです。キリストの実質が分からないのに、キリストの代理者と言っているのです。宗教はこういうひどいものです。
 

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