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大無量寿経

 

毎日、私たちは、見たり、開いたり、飲んだり、食べたりしています。人間の営みは、魂の営みです。
与謝野晶子の歌に、『はじめより営みつくる殿堂に我も黄金の釘一つ打つ』というのがあります。人間の歴史の流れは何か分からないが、一つの殿堂のようなものを営み造っているらしいというのが、晶子の考え方なのです。晶子目身は、永遠の命を知っていたのではありません。永遠の命の入口ぐらいまでは行っていたのかもしれません。しかし、彼女は永遠の命を本当に知っていたのではないのです。だから、「黄金の釘」という生意気なことを言えるがらではないのです。真珠の釘くらいのものです。
良く考えてみなければいけないことは、理性と良心という機能です。理性は無限の真理を求めています。良心は最高の善を求めています。無限の真理と最高の善を求めているのが、人の霊魂の持ち前なのです。このことを一つにして命というのです。これは言(ことば)とも言います。大無量寿経では、これを言といわないで、光といっています。南無不可思議光の光です。
聖書でも言っています。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった(ヨハネによる福音書1・4)。聖書も、大無量寿経も、同じことを言っているのです。この二つのものが、理性と良心になって現われているのです。
理性が何を求めているのかというと、最高、絶対の合理主義を求めているのです。良心は最高、絶対の善を求めているのです。本当の善を求めている。人間の考える善悪の善とは違うのです。普通の人間の常識では考えられない善を求めているのです。
このように、魂の働きは人間が承知してもしなくても、人間の精神、ハートの心髄は、理性と良心の他にはありません。理性は無限の真理、最高絶対の真理を求めている。良心は最高の善を求めている。この二つは、どちらも無限無窮を求めています。無限無窮とは永遠の命です。これを仏典では仏国浄土と言ってみたり、アミダ如来と言ってみたり、色々な言い方をしていますけれど、無限無窮のことを言っているのです。
花を見ると人は美しいと思います。無限が花となって現われているのです。花の姿は、地球の命です。地球の命は死ぬ命ではないのです。死なない命なのです。永遠の命の美しさが花になって現われている。
これを見て魂が感動しているのです。これが、永遠の命です。これは誰でもその気になれば分かることなのです。
花をじっと見て下さい。心を静めて、花を見るのです。花は咲いていると、しきりに言っているはずです。花は咲いていますが、咲いていることが何のことか分からないのです。
人間には分かります。分かりますから見るのです。花を見たいと思っている人の心が、神の秘密の中に入っていく心です。
人間の直感性、本能性、五官の本性は先天性です。先天性というのは、現世にお生まれになる前の皆様の性格です。これに目覚めることができると、花が咲いていることの本質の中へ入っていけるのです。
このことをパウロは、良き訪れを告げる者の足は美しいと言っています。おいしいこと、楽しいこと、有難いことが、キリストの言です。
霊魂の直感性は先天性であって、先天性というのは、生まれる前に持っていた本質性です。生まれる前に持っていた本質性は、今でも五官の中に入っていますから、これを用いて神の国に入っていくのです。そうすると、イエスの本物にお目にかかることができるのです。
これは見ることだけではありません。食べることも入ります。マグロの刺身を食べると、うまいと感じます。うまいとは一体どういうことでしょうか。これが神の福音に大関係があるのです。
これは、ローマ人の手紙の10章14節から18節にかけて書いています。信仰は聞くにより、聞くはキリストの言葉による。キリストの言葉を伝える者は、良き訪れを伝えるものであって、美しいのです。
人間の五感で、おいしとか、楽しい、美しいと感じるものが、神の国の閃きなのです。これが閃いているから、おいしいと感じるのです。
人間の五官は、本質的に神をよく知っています。こういう点をキリストと結びつけて、お考になると分かるのです。キリストというのは神の地球計画でありまして、メシアと大関係があるのです。これが日本に非常に大きい関係があるのです。
日本からでなければ、本当のキリストの信仰は現われません。それがイスラエルに伝えられるのです。聖書に、束から西に閃くように福音が伝えられるとあるからです。
私たちは西洋信仰のキリスト教ではなく、日本人の持ち前で見た福音が必要です。私はこれを、日本主義で言っているのでもありませんし、国民精神で言っているのでもありません。日本人の真髄は、直感的に神を見つける力を与えられているのです。
これが、日本の文化である生け花とか茶の湯の心に現われているのです。日本から、本当の聖書の見方が現われるのです。これが黙示録の第七章に預言されているのです。
日本の神学者は、すべて欧米の神学者の真似をしています。これでは本当の福音は分かりません。こういう人にこそ、宗教ではない般若心経と、聖書をお勧めしたいのです。
やがて、神の家から裁きが始まります。キリスト教がまず第一に裁かれるでしょう。これがキリスト再臨の直前の状況です。
 

 

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