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本当のしあわせ


魂は、過去の生から出てきて、肉体になっています。現在、人の中に魂はあります。これが、潜在意識なのです。
例えば、花を見て美しいとお考えになります。美しいとはどういうことかの説明が、自分自身にできないのです。美しいとは感じます。実は美しいと思うことは、魂が感動しているのです。
花を咲かせたのは人間ではありません。太陽が東から出ますが、人間が出しているのではありません。これは、天然自然の現象です。天然自然の現象は、神のことばです。おのずからの現象であって、おのずからというのは、神の本体なのです。
人が生れてきたのは、おのずから生れてきたのであって、命は自分のものではありません。それを、自分のものだと考えるために、死んでしまうのです。
自分が生きているというのは、妄念です。キリスト教的に言いますと、原罪です。仏教では、煩悩とか、無明といいますが、無明煩悩が、自分が生きていると勝手に思いこんでいるのです。おのずからの命を、自分の命のように、横取りしているのです。この状態が、死んでいる状態なのです。
おのずからとはどういうものかを考えるために、私達は肉体的な命を与えられているのです。
魂は潜在意識になっていて、表面に現われていません。おいしいとか、美しいとかいうのは、潜在意識で考えているのです。潜在意識は、人間の本質機能です。これが神を求めているのです。潜在意識は、神から生れた意識ですから、神を求めるのです。魂は神に帰ろうと、一所懸命に願っているのです。神に帰ることが、幸せになりたいという気持ちなのです。
人の魂と、天然自然の神が、一つになることを、しあわせというのです。仕合わせるのです。神が仕向けているのと、人が仕合わせるのと、両方が一つになることが、幸せなのです。これが、本当の幸福なのです。
人の魂は、おのずからに帰るべきです。人の幸せは、地位、名誉、財産ではありません。本当のしあわせは、天然に帰ること。自然への回帰です。これが、人間の本当の幸せなのです。
芸術家が、自然ということを言います。これは、芸術的な意味での自然への回帰であって、本当の自然の回帰とはいえません。
霊魂が自然へ回帰することは、自分自身の本質意識、潜在意識が、神を捉えることです。人のまごころが、神をぎゅっとつかまえるのです。そうしますと、神の実物が、人の命と一つになるのです。
人間は、現に、生きているという尊い命をもっていながら、まごころで神をつかまえようとしていない。これは、全く残念なことです。そんな状態でこの世を去りますと、ひどいめにあいます。
本当の命をつかまえたいという人は、日本にはめったにいないのです。聖書の読み方が分っていないのです。聖書を、心から愛する気持ちがある人、天然自然の命を、すなおに見ることができる人は、非常に少ないのです。
これは、難しくないのです。自分自身のまごころが、どういうものかが分れば、何でもないのです。英語でいいますと、ハートです。日本語の聖書に、心に信じて義とされるという言葉があります。心で信じることは、まごころで信じることです。
現世意識に毒されないで、おいしいものをおいしいと考えるそのまごころです。おいしいものをおいしいと感じるのが、本当のまごころなのです。
男の場合、女の人がきれいだと思うのが、まごころなのです。女の美しさは、セックスに関係がないのです。もっと深い問題なのです。これが分らなければ、霊魂の目を開くことはできません。
神が男と女をつくったのは、神のかたちのようにつくつたのです。男と女の関係は、父と子との関係なのです。これが、そのまま、男と女の関係に現われている。
三位一体の神がありますが、これが、男女関係の根本原理なのです。現在の人間の考えるセックスとは、全然違います。
人間は、そのような、すばらしく高い命を経験しているのですが、常識で考えているために、考えが、全部肉的になってしまっているのです。
肉の思いは死であると聖書は言っています。人間の常識、知識は、全部顕在意識ですから、この世に生きている間は通用しますが、魂の本質には何の関係もないのです。
そこで、潜在意識で考えるように、生きるのです。なぜ美しいと思うのか。なぜおいしいと思うのか。そういうことを、真剣に考えるのです。
太陽を見て何を感じるのか。山の景色を見て、何を感じるのか。鳥の鳴き声を聞いて、何を感じるのか。大自然が、人間に何を語ろうとしているのか。これがすなおに分りますと、天地を造った神自身が、分ってくるのです。
現代文明が、間違っているのです。文明を新しくしなければなりません。文明を新しくすれば、世界中の人間の考えが、変ってしまうのです。
ナザレのイエスが、死を破って、復活したのです。イエスは、現在、生きているのです。復活した以上、今なお生きているにきまっているのです。このイエス・キリストが、復活の命のままで、歴史のまん中へおりてくるのです。これは、必ず実現します。
現在の文明は、完全に行きづまっています。文明は、自滅崩壊するにきまっています。原子爆弾をつくるのは、全く気ちがいざたなのです。今の教育のあり方の間違い、家庭内暴力、学校内暴力は、文明の間違いを如実に示しているのです。
こういう間違いの原因は、聖書をまじめに読もうとしないから起きているのです。キリスト教の聖書は、いくら読んでもだめです。
本当の神の言葉は、心臓が動いていることなのです。だから、心臓が動いてること、目や鼻がどのように動いているかをはっきり見ていけば、神の実体が人の中にあることが分るのです。
これを教えたのが、イエスです。キリストという言葉は、神の地球計画を意味するのです。神が何のために地球を造ったのか。何のために人間を造ったのか。人間の本質は一体何なのか。これがすべて、神の地球計画なのです。
人間は、肉を食べたり、魚を食べたり、果物を食べたりしています。人間が、肉体を持って生きているとは、どういうことなのか。聖書をけぎらいしないで、くわずぎらいしないで、平らな気持ちで、まっすぐに勉強しようという気持ちがあれば、誰でも分るのです。
結局言えることは、聖書の読み方がまちがっていること、日本に、本当の仏法がないということです。
仏法と仏教とは、全然違うのです。仏教は人間を幸福にするといいますが、仏法は、人間を空にしてしまうのです。
人間の思いは幻覚です。人間が生きていると思っていることが、幻覚なのです。本当の命が分らないままの状態で生きていることが幻覚なのです。これを般若心経によって空じてしまうのです。それから聖書を勉強すると、本当の命が分ってくるのです。
人間が生きているのは、神と一緒にいるのです。一緒にいる神が、じっと見ているのです。神にいつ気がつくかと、じっと見ているのです。神は皆様と一緒に生きています。人は神と共にいる。インマヌエルの状態にあるのです。それにいつ気がつくかと、気長に見ているのです。
生きていることは、神そのものです。神の実物が、皆様の霊魂と一緒に生きている。だから、丸いものが丸い、甘いものが甘いと分かるのです。五官の働きは、そのまま神の実物になるのです。
死なない命を掴まえるためにどうしたらいいのか。前世に生きていた自分を引っ張り出せばいいのです。前世に生きていた自分というのは、五官の働きです。五官の働きの自分を引っ張り出せばいい。これがリビング(living)の実体です。死なない命です。これを受け取ることが、リビングのシールを受け取ることです。生ける神の印を受け取るのです。
赤いものを見て、赤く感じることが、皆様が生きている証拠です。これが神です。神はここにあるのです。
 

 

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