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存在の本源が神

 

神を信じることについて簡単に言いますと、新約聖書ヨハネによる福音書十四章一節に、
心を騒がすな、神を信じ、又、私を信じなさいとイエスは言っています。これを宗教的に言いますと、人間が神を信じなければならないのだということになるのです。
ところが、英文で見ますと、神を信ぜよとは、神において信ぜよということになるのです。英文で、ビリーブ・イン・ゴッド(believe in God)となっているのです。人間が信じるのではなくて、神において信じるのです。
神において信じるとはどういうことかといいますと、現在、皆様が生かされていらっしゃいます。存在していらっしゃいます。そのことが神そのものなのです。人間が存在すること、万物が存在すること、この存在の本源が神なのです。
旧約聖書に、私は有って有るものという言葉が、モーセと神との対話の中に出てきます。出エジプト記三章にありますが、有って有るもの、I am that I am.となっています。有って有るものとは、存在の本源ということなのです。存在そのものということなのです。
存在とは何かと言いますと、時間と空間と人間の間ということが存在なのです。そこで、時間、空間、人間の三つのものが、新約聖書によって一つにたばねられるのです。これが新約聖書の信仰なのです。 ・
大自然が存在すること、自分自身が存在すること、そして聖書の言葉、この三つのものがぴたっと一つになるのです。これが本当の信仰なのです。
信じるということは、宗教観念を持たないことなのです。そのためには、聖書の言うように、心の霊を新しくすることです。心の霊というのは、人間が色々な霊にとじこめられている状態を言うのです。
商売人は商売の霊をいっぱい背負っている。宗教家は宗教の霊を背負っている。人間は現世で色々な霊を背負っているのです。これを、パウロは、心の霊といっているのです。
新約聖書エペソ人への手紙四章二十三節にありますが、心の霊を捨ててしまわなければだめなのです。そして、新しい人を着よといっているのです。
皆様は、神と関係がなく、自分があるような気がするでしょう。これが人間の肉の霊なのです。はっきり悪魔の霊なのです。そういうものを人間は背負いこんでいるのであって、自分が幸いになるとか、死んでから天国へ行くとかいう思想が宗教観念なのです。そんなことは聖書には書いていないのです。
現在生きているうちに、神を見つけるのです。生きているうちに、イエス・キリストを着るのです。生きているうちに、イエスの心を心とするのです。死んでからのことではないのです。
今までの自分の妄念、雑念を、捨てさえすればいいのです。即ち、心の霊を新しくしさえすれば、皆様は、命をはっきり経験できるのです。
これを悔い改めるというのです。悔い改めて福音を信ぜよというのは、心の状態を根底から新しくして、出なおすことなのです。そうすれば、神を信じることができるのです。
なぜ今の地球に、戦争があり、洪水があり、地震があり、エイズが発生するのか。全知全能の神だから、そういうものが発生するのです。人間の不完全さを指摘するためには、やむをえない処置です。
人間自身が不完全であることを、人間に悟らせるためには、疫病が必要になるのです。地震が必要になるのです。夫婦げんかが必要ですし、戦争も必要になるのです。
とにかく人間は自惚れの塊です。自信満々で、何でもできると思っている。命、人生は自分のものであり、基本的人権があり、自分が一番偉いと思っている。この鼻っ柱を叩くためには、色々な矛盾、苦しみが必要なのです。
現在の人間文明は、崩壊します。そして、歴史が全く新しくなるのです。世界の歴史には、驚くべき必然性が流れています。これが歴史の底に流れていますが、日本人はこれを全く知らないのです。
日本人は宗教を離れて、聖書を読んだことがない民族です。キリスト教を離れて、まじめに聖書を読んだことがない民族です。ですから魂が分からないし、キリストが分からないのです。
現世に矛盾があるということは、現存の世界に本当の主人公がいないことを示しているのです。絶対者がいないのです。世界の歴史に、神が隠れてしまっている。だから人間は勝手な理屈を言って、勝手な行動をしているのです。
現在の文明は、神がいない文明であって、それを基準にして神とは何かを考えることは、間違っているのです。
魂とは何か。端的に言いますと、皆様が現在生きておいでになることが、魂です。人格という無形のもの、五官の本性という命の本質が、肉体的な条件で生きている状態が魂です。
命は自分のものではありません。自分が生きているのではないのです。だから、自分の考えを主張することは、間違っているのです。私は自分の主張を述べているのではありません。神の主張、聖書の主張を、代弁しているのです。
魂ということが、日本人に全く分かっていません。死んだら葬式をしますし、墓を建てるでしょう。これは魂がある証拠です。死んだら放っておく訳にはいかないのです。
皆様は、人間ではなくて魂です。人格が肉体的な条件で生きていることを、魂というのです。
宇宙には絶対があるに決まっています。現在の日本人は、絶対が分からない。従って命も分かりませんし、神も分からないのです。神に対して、非常な曲解をしていることになるのです。


 

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