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原因と結果

 

死んでしまえばそれまでという考えは、現代文明の特徴であって、明治時代までの日本人にはそういう考えはなかったのです。
もし、人間が死んで、それで終わりであれば、葬式をする必要はないのです。墓を造る必要もないのです。
魂とは何かと言いますと、現在、肉体的に生きていて、理性や良心を使っていることです。魂は、仏教では、どうしても分からないのです。大乗仏教一万七千六百巻という膨大なお経の中に、魂という文字が、一字もないのです。魂は、本当の神の実物を、はっきりつかまえないと、説明ができないのです。
イエスはキリストとされたのですが、彼は地球上に生きていた。ところが、阿弥陀如来は、地球上に生きていないのです。これは、抽象的概念で造りあげた人格であって、実在の人物ではないのです。
イエスは、歴史的に存在していた人なのです。この人が生きていた状態が、そのまま魂なのです。彼は、霊魂のあり方を、最も正確に、はっきり証明したのです。その結果、人間の肉体は死んでも、魂は死なないということが、イエスの復活によって、はっきり証明されたのです。
現在、人間が、魂が分からない状態で生きていることを、客観的に見ますと、商売をしたり、会社へ行ったりして、生活しています。この状態が、霊魂になるのです。
人生は霊です。生活に関する機能の実体が、魂なのです。霊と魂は、関連しているのです。理性や良心が、肉体的に機能している状態が、魂です。肉体は灰になります。ところが、生きていたという事実、その記憶があります。記憶は精神的なものであって、消えてしまわないのです。
人間は、どこかから来たのです。だから、生まれてきたと言うのです。死んでいくというのは、どこかへ行くのです。今いるのは、結果なのです。この結果が現れるためには、原因がなければならないのです。
最も分かりやすいことで言いますと、赤ちゃんが生まれて、二十四時間以内に、お母さんのお乳を飲みます。乳の飲み方を、誰が教えたのでしょうか。
赤ちゃんは、乳の味を知っているのです。だから、赤ちゃんが乳を飲むというのは、生まれるまでに、そういう心構えができていた。本能的な生命力が、備わっていた。味を知る力、感覚する力があったのです。
赤ちゃんは、胎内にいる間に、母親の血液の流れを、音楽のように聞いていたという報告があるのです。そのように、人間は、この世に生まれる前に、生命意識があったのです。生命意識があって、味わう力、聞く力があるのです。五官の本質機能は、生まれる前からのものなのです。
人間に記憶があるということは、どうしても消しようがないのです。これが、魂の本性
であって、肉体的には消えてしまいますけれど、心理機能的には、なくならないのです。
だから、心霊科学のようなやり方で、死んだ人の霊をよび出して聞くことができるのです。これは、科学的に実験できるのですから、信じないといっても、事実なのです。
生きている間は短い時間ですが、死んだ後は、永遠です。現在経験しているのは、ごくわずかな間です。八十年か九十年で、終わりなのです。
肉体が、現世から消えることはありますが、記憶が消えることはないのです。どういう意識で生きていたかが、問題なのです。
人がこの世へ来たのは、命を経験するためです。命を正しく経験しますと、死なない命をつかまえることができるのです。
 

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