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不安の原因


現代は不安が多い時代です。ところが、不安をすぐに解消する方法があるのです。人間は自分が不安を抱いているのです。
宗教ではない般若心経が分かりにくい、聖書の言葉が分かりにくいと言われますが、分かりにくい原因を自分が抱いているのです。例えば妻が夫の気持ちを分かりにくいと言います。妻自身がそういう人生観や世界観を持っているからです。男は女が何を考えているかさっぱり分からないと言います。それは男目身がそういう考えを抱いているからです。
般若心経というすばらしい思想を日本人は非常に愛好しているのです。般若心経の哲学を愛好していながら、それを全く理解していない。般若心経の解釈ぐらいはできるでしょう。しかし般若心経の究竟涅槃を実行している人はいないのです。
涅槃というのは人間が消えてしまうことです。これが不安を解消するための一番簡単な方法です。自分が消えてしまえば不安がなくなるのです。自分目身が不安の原因です。こんな簡単なことが分からないのです。
人間は自分が消えることが大変難しいように思い込んでいますが、そう思い込んでいるだけのことです。自分の思いを信じなかったらよいのです。
原水爆廃絶と言いますが、原水爆でさえもやめることができない。アメリカ、ロシアなどの大国が、一万五千発の核兵器を保有している。世界を十回も破滅させる威力がある。こんな危険極まりないものを廃止することができない。こんな簡単なことがどうしてできないかと言いますと、お互いに不信感を抱いているからです。世界の政治の指導者が決定的に間違っているのは、独立国の面子にこだわっているからです。政治問題を議論するから、いつまでたっても解決できないのです。世界観について話しあえばいいのです。そうすると、原水爆そのものが必要ではなくなるのです。
お互いに違った世界観を持っているから喧嘩をするのです。お互いの世界観とは何でしょうか。ただの情報です。それがどうして尊いのでしょうか。どうして絶対的な価値があると言えるのでしょうか。
そう考えますと、般若心経はたいしたものです。五蘊皆空、究竟涅槃は堂々たる思想です。究竟涅槃は人間存在をはっきりしているのです。これがお分かりになれば不安はすぐになくなるのです。
皆様は自分が不安を感じておいでになります。自分が不安の根本原因です。固有名詞の自分が不安であることになぜ服従しなければならないのでしょうか。皆様が不安であることをなぜ皆様は信じなければならないのでしょうか。皆様はどうせ死ぬに決まっています。死ぬに決まっている人間の考え方が、なぜそんなに大切なのでしょうか。
唯物論という思想、物が存在するという思想を全世界の人間が信じていますが、色即是空という言葉一発でそれを撃破できるのです。ところが唯物論と仰々しく言い立てて絶対的なことのように信じているのです。
なぜ物が絶対に存在すると思っているのでしょうか。物は存在しないと科学で言っているのです。原子爆弾は物が存在しないことを証明しているのです。物質が本当に存在するのなら原水爆はできないのです。
原子爆弾が存在しているということは、物質が存在していないということをはっきり示しているのです。こんな簡単な原理は中学生でも勉強しているのです。だから唯物論は根本的に嘘です。原子爆弾が存在する世界になぜ唯物論が幅をきかしているのでしょうか。 唯物論は一体何の価値があるのでしようか。唯物論は嘘なのに、それを信じて共産主義国家さえもできているのです。これは全くのお芝居なのです。
なぜこういうおかしなことが起こるかと言いますと、肉体的な人間がいると思っているからです。般若心経はそれをないとはっきり言い切っているのです。
安心立命を本当にお考えになるのなら、自分を問題にしない方がいいのです。唯物論を信じているから世界中が不安に状熊たなっているのです。ユダヤ人の間違った考えが世界中を不安に陥れているのです。これは全く困ったことです。
皆様はご自分の命を真正面から見て頂きたいのです。命は一つしかないのです。ところが68億の命があると思っているのです。自分が生きていると思っているからそうなるのです。
自分が生きていると思うのは宇宙的な真実ではないのです。宇宙に命は一つしかありません。従って一つの命を見つけることができた人は、不安が消えてしまうのです。はっきり消えてしまうのです。
宗教はどんなものでも自分を幸福にしようと考えるのです。特に最近の新興宗教は例外なく、人間を幸福にすることを歌い文句にしているのです。現在生きている人間を幸福にするということほど、ばかばかしい話はないのです。現在の人間がどれだけ幸福になったと思っても、ただそう思い込んでいるだけのことです。死ぬに決まっているのです。
現在の人間はいくら幸福になったと思っても、自分自身の気持ちに酔っぱらっているだけなのです。必ず死ぬに決まっているのです。死ぬに決まっている命を自分の命だと思うことが甚だしい不見識なのです。
命には必ず死ぬに決まっている命と、絶対に死なない命と両方あります。死ぬに決まっている命は人間が考えでいる命です。それは命ではないものを命だと勝手に思い込んでいるのです。これを五蘊と言います。だから五蘊皆空なのです。
般若心経の五蘊皆空、色即是空が銘々白々にうたわれていながら、なぜそれが分からないのかということです。般若心経は十二因縁、四諦八正道という仏教の唯識論の中心をはっきり否定しているのです。ところが般若心経の解説書は、正しく考え、正しく生きることが一番上等だと言っているのです。般若心経はそれを真っ向から否定しているのです。正しく生きたいと思うことが、もう間違っているのです。これが五蘊なのです。
成仏するということは人間が考えている命を、ことごとく脱ぎ捨ててしまうことを言っている。これが涅槃です。
新約聖書は古き人を脱ぎ捨てて、新しい人を着よと言っているのです(エペソ人への手紙(4・22、23)。この世に生まれた自分を脱ぎ捨ててしまうことです。般若心経も聖書も同じ方向を示しているのです。
ところが般若心経の究竟涅槃が全く分かっていない。五蘊皆空も分かっていない。そんな分からない般若心経をなぜ読んでいるのでしょうか。おまけに写経をして千円をつけて寺へ送る。儲けるのは寺の方です。損をするのは皆様です。なぜそんな茶番狂言みたいにことをするのでしょうか。とにかく般若心経に書いてあることを信用しないくらいなら読まない方がいいのです。般若心経を読んでいながら信用していないということは、般若心経をばかにしているのです。ばかにするくらいなら読まない方がいいのです。
般若心経を読んでいながら、その真意が全く誤解されている。なぜこんなことになるのでしょうか。般若心経が宗教だと思われているからです。般若心経を宗教のテキストだと思っているのです。
般若心経は宗教のテキストではありません。新約聖書はキリスト教のテキストではありません。聖書は宗教を痛列に批判しているのです。般若心経は宗教を否定しているのです。それを宗教が用いている。こういうおかしなことが日本でまかり通っているのです。日本社会の宗教的なでたらめさ、無責任さ、哲学的な無知さをよくお考え頂きたいのです。
人間はなぜ死ぬ命を自分の命だと思い込んでいるのか。実は皆様がそう思い込んでいるのではなくて、そう思い込まされているのです。世の中に思い込まされているのです。この世の中全体を動かしているけしからん者がいる。その元凶がユダヤ人です。全世界の世界観はユダヤ的な世界観によって成立しているのです。
肉体的に生きているのが人間だという考え方を造り出したのはユダヤ人です。キリスト教神学の根本を造ったのはユダヤ人です。ユダヤ人が造ったキリスト教神学が、世界文明の基本思想になっているのです。つまりユダヤ人が世界中をひきずりまわしているのです。なぜ皆様はユダヤ人にそんなに忠実にならなければならないのでしょうか。これをよくお考え頂きたいのです。ユダヤ人の世界観に従わなければならない義務はないのです。
イエスが言うように、幼児になったらいいのです。大人の間違った考えを捨てて、幼児にかえるということは、非常に難しいと言われるかもしれません。大転換をしなければならない。しかしほとんどできないことと思われるかもしれません。
ところがお考え頂きたいことですが、今まで皆様がご経験になった人生があるからこそ、皆様はもう一つの命をつかまえることができるのです。今まで皆様が経験しておいでになった人生は、死ぬに決まっている人生です。仏教的に言いますと、無明煩悩の人生です。 皆様は今まで死を経験しておいでになったのです。
皆様は毎日死を経験しておいでになるのです。不安というのは死を意味するのです。不安があるからこそ不平不満があるのです。苦しみ悩みがあるのです。こういう状態を皆様は今まで経験しておいでになりました。何のためかと言いますと、この人生にあいそをつかすためです。
死んでしまうに決まっていることが分かっていながら、なぜそれにしがみついているのかと言いたいのです。捨てることが難しいとおっしゃいますがそうではない。捨てようとしないだけのことなのです。
捨てようと思えば捨てられるのです。世界観をかえたらいいのです。物の考えをかえるのです。今まで本当の命を生きておいでになったのなら、喜びと感謝であふれているはずです。大盤石の安心感があり、はっきりした見通しがあるはずです。それがないのは生き方が間違っていたからです。皆様は不安の状態で生きておいでになりました。だから有難いのです。捨てやすいのです。
今までの皆様の人生は死んでしまっている人生なのです。失礼ながら皆様の脳細胞は全体の5~6%しか働いていないのです。ということは皆様は自分の本当の能力を考えることができないということです。なぜ不安なのか。なぜ信じられないのか。皆様の能力が5~6%しか働いていないからです。神と命が考えられないのは当たり前です。だから神に対して兜を脱ぐしかない。自分の考えをやめるしか方法がないのです。
皆様の命とは皆様の考え方のことです。自分の考え方が自分の命になっているのです。考えを改めても税金はかかりません。考え方をかえるというのはどうすることかと言いますと、聖書でいう『悔い改めて福音を信じる』ことなのです(マルコによる福音書1・15)。仏教では解脱すると言います。悔い改めるとか解脱は大変難しいように思えますが、本気になること、やる気になることです。
やる気になるとはどうすることか。いままでの皆様の人生は死んでしまう人生です。これから脱出して、神の命に移るのです。それだけのことです。そういう決心を本当にすれば分かります。そのためには今までの自分の気持ちを中心にしないで、新しい決心を中心にして頂きたいのです。
皆様は今までの自分の気持ちにこだわりすぎていました。なぜこだわるのでしょうか。はっきり言えば皆様は臆病なのです。思い切ったことができないのです。今までの宗教は全部嘘でした。だから私が言うことも嘘のように思えるのです。私が言うことが簡単に信用できないのです。
今までの宗教は全部間違っていました。私の言うことは宗教ではなくて、事実を述べているのです。
宗教ではない聖書と般若心経のいうことを受取りそこなったら、永久にチャンスはありません。永遠の生命を受け取るチャンスは絶対になくなるのです。これだけははっきりしているのです。
皆様が大転換しなければならないのはしょうがないのです。難しい、難しいとおっしゃいますが、地獄へ行くと思えば何でもないのです。皆様が今のままで死んだらどうなるのでしょうか。皆様の脳細胞はほとんど働いていません。たった5~6%の脳細胞の働きでも死んでしまうのです。95%は眠っているのです。こんな頭でこの世を去ったらどうなるのでしょうか。現世で難しいと賛沢なことを言っていられないのです。地獄へ行くことを思えば何でもないことです。
生きている間なら分かるのです。天地創造の原理を正しく勉強すれば分かるのです。天地がどうして存在しているのかということは、神の御霊(みたま)を勉強するしかないのです。本当の神の御霊は一つしかないのです。これは宇宙の大指導霊です。新興宗教でいうような守護霊というばかなものとは違います。命そのものを直轄する神の指導者です。これを聖霊というのです。本当のホーリー・スピリット(Holy spirit)です。これによって初めて天地創造の原理が分かるのです。万物が造られたこと、そして人間が造られたことを勉強すれば、本当のことが分かるのです。
今のままでは皆様は必ず死にます。死ねば現世の魂の責任は必ず追求されます。牛や魚を食べ、野菜や果物を食べ、酒を飲んで命が分からなかったではすまないのです。
皆様が現在生きておいでになるのは、命を経験しているのです。五十年も六十年も命を経験していながら、命が分からなかったですむ問題ではないのです。
皆様はこの世でずいぶん楽しんでいます。有形無形の楽しみをずいぶん経験しておいでになります。欲望の満足は人生の幸福であると言って人生を楽しんでいた。それに対してどのような支払いをしたのでしょうか。七十年、八十年の間、野菜や果物、海の幸、山の幸を食べてきました。これについて正当な代価を払ったのでしょうか。
皆様が食べた魚の代金は、漁師さん、問屋さん、小売り屋さんの必要経費で、魚そのものの代金は一円も払っていないのです。皆様は市場価値についてはお金を払っているでしょう。しかし魚そのものの値段、本質価値に対しては、何の支払いもしていないのです。それで通るのでしょうか。
マグロに味をつけたのは誰でしょうか。サバに味をつけた大自然の法則をどう考えたらいいのでしょうか。知らぬ存ぜぬでは通らないのです。資本主義社会の悪い所は、市場価値さえ払えば、すべての支払いがすんだと思っていることです。すべて大自然の産物は天物です。自然が皆様に与えているのです。
天とは何か。皆様の命の本物です。この命によって人間は生かされているのです。皆様は瞬間、瞬間、空気を吸っています。毎日数千円もする酸素を吸っています。その代金を支払ったでしょうか。これに対して皆様は誰が生かしているかを真面目に考える気持ちにどうしてならないのでしょうか。一生食べたり飲んだり抱いたりして、知らぬ存ぜぬではすまないのです。だから地獄の厄介にならなければならないのです。
皆様の脳細胞はそれを十分に自覚するだけの能力があるのです。ところがこの世が皆様の自覚能力を弾圧しているのです。皆様はご自分の精神能力のわずか5~6%しか使っていない。残りの95%は休んでいるのです。
問題はこの世が悪いのです。この世に生きていることが大変危険なのです。この世には恐るべき病理があるのです。現代文明は病気にかかっているのです。これがユダヤ主義の世界観、人生観であって、皆様の人生はユダヤ人にひきずり回されているのです。
生きている間はいいでしょう。赤信号皆で渡れば怖くないと言って平気でいられるのですが、死んだら必ず精算をさせられます。絶対にさせられます。人間の生活原理が間違っているのです。払うべきものを払っていない。感謝すべきことを成謝していない。知るべきことを知っていない。これが地獄の刑罰につながっていくのです。
生きているうちなら自分の気持ちを転換できます。大転換と大げさに言いますけれど、生きている間ならできます。創世ということが分かると人間の命がどうなるかが分かるのですが、日本が始まって以来、これをはっきり究明した人がいないのです。道元も親鷲も、空海も日蓮も、人間が死んだらどうなるかをはっきり言った人がいないのです。この世がどうして始まったのか、人間はどうして救われるのかをはっきり説明した人はいないのです。
こういう疑問を解明するためには、どうしてもイエスに学ばなければならない。死を破った人はたった一人だけです。この人以外に死を破った人はいないのです。皆様の人生は死んでいます。死んでいる人生を生かそうと思えば、死を破った人の生き方を勉強するしかないのです。
般若ハラミタということをよくご理解頂きたい。向こう岸へ渡る知恵を学ぶのです。向こう岸へ渡ることが、人間が一生涯にどうしてもしなければならない仕事です。向こう岸へ渡ることができなかった
人は必ず裁きを受けるのです。この世に生まれてきたのは、ハラミタをするためです。
皆様の生活には不安や不信が渦巻いているでしょう。おもしろくないことばかりに決まっています。
これはハラミタをしなさいという天からの声なのです。それなのに、皆様はおもしろくない世界にがんばっておられる。我慢強いものです。全く感心します。我慢強さのエネルギーの十分の一でも向ければ、命が見つけられるのです。
皆様が今生きていらっしゃるのは、全くの夢です。現世で家庭がある、仕事をしているというのは夢です。『浅き夢見じ酔ひもせず』と、いろは歌にあります。この世に生きているのはただの夢だから、この世を見切ってしまうというのです。
皆様はこの世で、いかにも生きているように思えるでしょ、う。これが酔っぱらっている証拠です。世間に酔っぱらっている。家庭に酔っぱらっている。仕事に酔っぱらっているのです。肉の思いというのは酒であって、この世に生きている人間の人生観は、酔っぱらっている考え方、見方なのです。死ぬベき命を自分の命だと思っている。自分が生きていると思っている。自分の命があると思っている。これははっきり夢なのです。浅き夢見じです。この世に生きている命を信用しない。夢を見ないとはっきり言い切るのです。この勇気があれば、必ず死なない命を見つけることができるです。

 

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