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新陳代謝

 

この花は存在するが、花は存在しないという考え方は、論理学の考え方です。花というのは概念です。この花は実体です。般若心経の空は、概念の花は無論ない。そしてこの花もないといっているのです。
私は、自分自身の思想ではなくて、般若心経の思想を述べているのです。般若心経に色即是空とありますが、色は物質的現象なのです。即とは、それがそのままという意味でありまして、物質的現象は、そのままの状態で空であるといっているのです。
空とは、何もない、からっぽとは違うのです。ある禅宗の坊さんは、空をからっぽだといっていますが、それは間違いなのです。
現在、花があるということ、咲いているという事実があるのです。これをどう説明するかということなのです。
からっぽなら消えてなくなるはずなのですが、花という事実があるのです。花がここにあるということをどう説明するかと聞きますと、それは真空虚無だというのです。しかし、真空虚無といっても、現在こうして私が話をしているという事実があります。この私は
何か、真空虚無といっているあなたがいるのではないか。それは何だと聞きますと、無だというのです。無といっても、無といっている人間がいる。この説明ができないのです。人間創造の原理が分からないから、この説明ができないのです。
宇宙の淵源、宇宙の原理、宇宙の必然性の原点が分からないのです。だから、空といってもただの観念になってしまうのです。これを野狐禅というのです。まず日本中の禅はほとんど野狐禅であるといえるでしょう。
そこで、空とはどういうことかといいますと、人間はおなかがすいたら食事をします。喉が渇いたら水を飲みます。これが空なのです。おなかがすいたら食事をしたくなるというのは、新陳代謝の現象です。人間の肉体は、空を一番よく現しているのです。
なぜかといいますと、こうして生きている間に、気持ちはたえずいろいろなことを考えています。家のことを考えたり、昨日あったことを考えたり、仕事の事なども考えているでしょう。そのように、人間の心はいつでも動いているのです。心理状態はいつも変化しているのです。
お昼にめしあがった食事は、時間がたてば、胃の中でほとんどからっぽになっているでしょう。二時間半もすれば、胃から腸へ移動するそうです。人間の生理現象は、そのまま新陳代謝の現象なのです。
新陳代謝という事がらはありますが、人間の肉体は、固定的に存在しているのではないのです。これが色即是空なのです。
これはあたりまえのことなのです。諸行無常といってもいいでしょう。人間の肉体は存在するように見えるけれども、実は、生理現象が肉体として存在している。そこで、おなかがすいたらごはんを食べ、のどがかわいたらお茶をのみます。これが新陳代謝の現象です。
新陳代謝の現象が、肉体的な状態で存在している。だから、真相を言えば、新陳代謝という事がらがあるのであって、人間の肉体という固定的なものがあるのではないのです。
花がない、机がないというのはこういう意味であって、机はもちろんあります。しかし机は、長い年月がたてば、がたがたになるでしょう。これが新陳代謝の現象なのです。机どころか、鉄筋の建物でも、数百年、数千年もたてば使いものにならなくなるでしょう。
そのように、万物はすべて新陳代謝している。新陳代謝という事がらはありますが、物体が具体的に存在するのではありません。これが色即是空という意味です。
般若心経には、もう一つ空即是色という言葉があります。色即是空 空即是色 色不具空 空不異色というのは、般若心経独特の用語でありまして、日本人なら知らない人がないくらいの名句です。
命という言葉は誰でも使いますが、命という事がらの実体を知っている人は、めったにいません。人間は、色々な意味で、間違いばかりしているのです。人生の実体は、試行錯誤です。ああでもない、こうでもない、あれがよい、これがよいと、色々やりかえたり、やり直したりしますが、人生は試行錯誤ですから、自分の思想は正しいと考えることは、非常に危険です。
ある宗教、団体、思想、主義主張を正しいと考えることは、非常にあぶないのです。いわゆる主観論というものです。革命思想とか、国家主義もあぶないのです。
人間存在は新陳代謝の存在でありまして、地球それ自身も新陳代謝しつつあるのです。今も後も、永久に変わらないもの、地球がなくなっても変わらないもの、地球が存在する原理をしっかりつかまえて、皆様ご自身のお気持ちの底にぴったりと固定すれば、皆様の命は宇宙の大生命に一致するのです。宇宙の大生命と合体するのです。
日本の神道には、神人合言いう言葉があります。これは日本神道独特の言葉ですが、その事実はありません。言葉だけあるのです。
現在生きておいでになる命は、皆様方の命ではありません。例えば、加藤さんの命とか、山田さんの命とか、木村さんの命とかが、別々にあるのではないのです。
命は宇宙の大生命が一つあるだけなのです。
皆様方の命は、宇宙の大生命が分派したものなのです。分派しているだけのことなのです。皆様方の命の本源は、そのまま宇宙の生命ですから、これを発見すれば皆様方は死ななくなるのです。
そのためには、今自分が持っている思想を捨ててしまうことです。本当の白紙になって考えること、ベビースマイルの自分に帰ることです。生まれながらの赤ん坊に帰ることです。この純真潔白な態度こそ、本当のとこしえの命を見い出すことができる姿なのです。
そのためには、本当の時間を捉えることです。本当の時間とは、今日の前にある時間だけなのです。「今という間に今はなし、今という間に今はすぎ行く」というのが、時間の実体です。これをとこしえといいます。今の連続がとこしえなのです。
今ある命、皆様が今生きておいでになるその命を捉えるのです。これは、宗教ではありません。私の思想でもありません。イエスが持っていた神の思想なのです。又、釈尊の悟りの空なのです。空と命は、裏と表の状態で、ぴったり一つになるのです。
釈尊が悟ったのは、理屈であみ出したものではありません。人間が生きているそのことが、空であることを悟ったのです。色即是空という事実を発見したのです。
イエスは、神の命そのものを、具体的に実現したのです。これは宗教ではありません。事実なのです。生きている事実なのです。地球が回っていることと同じように、事実なのです。ここに、私達の本当の救いがあるのです。
人間は死ななくてもよいのに、自分の気持ち、自分の思想に捉われているから、死んでいくのです。
こんなバカなことはあってはいけない。それが私はくやしいのです。色即是空とイエスの復活の事実を体験すれば、人間は死ななくなるのです。この事実をお話ししたいのです。
 

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