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帰命

 

仏典に、帰命という言葉があります。帰命無量寿如来という言葉がありまして、帰命という言葉は非常に良い言葉です。
聖書は帰名することが本当のテーマです。どういうことかと言いますと、人間は地のちりであるものに形を与えられた。そして、鼻から命を息を吹き込まれて、生ける者となった。これが人間です。
人間の霊魂の原形は、リビング・ソール(生ける魂)でした。リビング・ソールであった者が、死んでしまったのです。神が絶対に食べてはいけないと言った禁断の木の実を食べたことによって、死んでしまった。これは現世に生まれてくる前の事件で、創世記の三章に詳しく書いています。死んでしまった者が天の命に帰る。これが帰名です。
キリスト教では、この意味が分からないのです。現在の人間と神の命との関係がどうなっているのかが、キリスト教では分かりません。現在の人間が、命を失っていることが分からないのです。
現在の人間は、完全に死んでしまっている。これが、キリスト教では、絶対に分からないのです。
現在の人間が、神を信じる力を持っていると思っている。これは大変な間違いです。皆様の現在の状態では、神を信じる力がありません。御霊の助けによらなければ、神を信じることができないのです。ところが、キリスト教は、人間は神を信じることができると思っている。これは大変な間違いです。御霊の助けがどういうものかが、全く分かっていないのです。
現在の皆様は、神から切り離されているのです。現世に生きているということが、はっきり死んでいることなのです。
現世に生きている人間が、神を信じにくいとか、信じられない、聖書がどうしても分からないというのは、当たり前です。人間は死んでいるのですから、死んでいる人間が、生きている人間の言うことが分からないのは、当然のことです。
例えば、新約聖書の中で、ニコデモという人がイエスを見て、あなたは神から来た先生であるらしい。神から来た先生でなければ、あなたのような業をすることはできないと言っている。ニコデモはそう言っていながら、自分が何を言っているのか分からないのです。
キリスト教の人々も、イエスが主であるとロでは言いますが、その意味が分からないのです。困ったことです。ニコデモと同じ間違いをしているのです。
イエスは言っています。『誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることができない。水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない』(ヨハネによる福音書3・3、5)。これに対してニコデモは、新しく生まれるとは、母の胎内にもう一度入ることですかと聞いている。困ったものです。この考えがキリスト教の状態です。
人間は、現在の自分の精神状態、現実の自分の霊的状態を、全く知らないのです。皆様は自分で聖書を勉強していると思っていますが、そうではありません。神の御霊によって、勉強させられているのです。ところが、自分が勉強していると思っているでしょう。この考えを、まず改めて頂きたいのです。
根本から考え方を変えてしまわないと、私が書いていることを何回お読みになっても、納得されないでしょう。
現在の皆様の命の状態は、死んでいくに決まっている命です。命とは。口遍に令と書きます。口というのは人口の口です。令というのは、天地に、目に見える世界と、目に見えない世界が、区別されている状態を言います。霊なる世界と肉なる世界が区別されているのです。
神が天と地を造ったということが、創世記の第一章第一節に述べています。天と地があることを絶対条件にして、人間が生きている。これが命です。
現在皆様は、この地上で有意識的な状熊で生きておいでになりますが、前世で無意識的に罪を犯したので、現世に追放されたのです。無意識的な状態で神を裏切ったので、神と一緒にいることができなくなって、エデンの園から追放されて、現世に放りこまれたのです。そこで今度は有意識的な状態で、罪を罪と思うかを、テストされているのです。
皆様が聖書の勉強をしていることは、皆様の力量ではありません。神がそう仕向けているのです。神に栄光を帰すかどうかによって、皆様方の運命が決定されるのです。
皆様は現在生きておいでになります。皆様が生きている状態は、静電状態です。荷電状態であると言ってもいいでしょう。皆様の体は電気で一杯ですが、じっとしているのです。宇宙全体も、電気でつまっています。宇宙電気に帰依するかどうかが問題です。宇宙電気に帰命すると、命の源と一つになってしまうのです。
花が咲いているのは、電気が働いている状態を意味するのです。皆様の命には、まだ花が咲いていません。皆様の命に花を咲かせるためには、御霊の助けが絶対に必要です。御霊の媒体なくしては、配電状態が発生しないのです。配電状態が発生すると、宇宙の中に入っていけるのです。そうすると、死ななくなるのです。イエスが実際に、それを実行して見せたのです。
だから、自分一人の命の中に、じっと閉じこもっていたらだめです。私が宗教ではだめだというのは、そういうことです。宗教は自分がいると思っているのです。自分が信じれば救われると思っている。そういう愚かな考えを捨ててしまわなければ、絶対にだめです。
イエスは私に来なさいと言っています。私の所に来なさいと言っています。自分がイエスを信じるのではありません。皆様がイエスの所に入ってしまうのです。
皆様が現在持ってみえるその気持ちが間違っているのです。皆様は自分が生きていると思ってみえるからです。そうではない。死んでいるのです。死んでいる自分に頼ってもだめです。皆様の意識状態を全部棚に上げて、黙ってイエスを信じればいいのです。
皆様はハートが分かっていません。ハートで神を信じるとは、どうするかです。皆様はマインドで聖書の勉強をしていらっしゃるのです。心で信じて義とされるとあります。今のキリスト教の人々は、心で信じることが絶対にできません。心で信じている信者は、一人もいないのです。
ハートで信じるとはどうすることか。幼児になることです。そうすれば分かります。子供の心境を、大人が見習うのです。子供の良い点と悪い点を良く考えて、良い点を取り入れるのです。
皆様がこの世に生まれたとは、どういうことか。人間は生まれたときに、死んでいるのです。これは創世記の3章、23、24節をご覧になれば分かります。
神は人間を捨てたのです。捨てたから、エデンの東に国を設けて、そこへ追い出したのです。人間が悪魔のようなって、命の木の実を取ろうとし始めた。キリスト教がそれをしているのです。善悪を弁えたままの状態でキリストの福音を考えるであろう。そこでエデンの園においておけないので、追い出してしまった。
キリスト教の人々は救われたいと考えて聖書を勉強しています。これが一番悪いのです。何よりも悪いのです。自分が救われたいと考えて聖書を勉強することが、一番悪いのです。これが創世記第三章の大鉄則に反するのです。
キリスト教の根本的な違いは、ここにあるのです。自分が救われたいと考えることが、間違っているのです。
イエスは、自分が救われたいと考える者は、必ずその霊魂を失うとはっきり言っています。そこで、自分が救われたいと思うことを、やめるのです。
現在の皆様は、静電状態にあるのです。死んでしまっている状態になっているのです。動電状態に帰ること、帰りたいと考えるのです。宇宙には命が流れています。電気が流れている状態の中に帰るのです。花が咲いている中に帰れとは、それを言っているのです。花が咲いているということが、キリストの言葉です。この中に入っていくのです。
そのためには、まず、現在持っている自分の思想、自我意識を捨てなければならない。捨てなければ、宇宙の命に帰れないのです。
日本は東の果ての最低の民族です。果てとは、一番悪いという意味です。日本人は世界で一番悪い民族です。国体は一番いいものを持っています。国柄は一番いいのですが、人柄が悪いのです。
日本人は神経質で、いらいらする民族ですから、元来、まともに聖書が勉強できるはずがないのです。人間歴史の終末時代ですから、世界に受け入れられて、お金儲けができるのです。これは文明の終末現象です。
皆様がこの世にお生まれになったということ自体が、死んでいることです。死ぬために人間は生まれてきたのであって、生きるために生まれてきたのではありません。幸せになるために生まれてきたのではない。地獄へ行くために生まれてきたのです。これが現在の人間のありかたです。
ですから、救われたいと思うのは間違っています。自分を捨てるために生まれてきたのです。まず、これを認めることが必要です。そうすると、御霊の助けを受けることができるのです。御霊の助けがなければ、静電状態から動電状態に帰ることはできません。神の命の中に帰るということは、こいいうことになるのです。
 

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