top of page

我空と生空

 

人間は、自分で分かっていると思っていることが、なかなか実行できないのです。皆様が現在生きている命は、必ず死ぬ命です。死ぬに決まっていることが分かっています。分かっていながら、死ぬ命から逃げ出すことができない。だから死んでしまうのです。
皆様が今まで生きてきた命は、必ず死ななければならない命です。必ず死ぬに決まっている命を、現在生きているのです。これをよくよくご承知いただきたいのです。
自分が生きていると思っている人は、死ぬに決まっているのです。ところが、自分が生きているという事実はありません。生きていることが、自分として現われているだけです。それを自分が生きていると考えている。反対です。反対であることを、自分でもうすうす分かっているのです。
人間は誰も、自分が生まれたいと思ったのではありません。又、自分の力だけで生きているのでもない。従って、自分が生きているといくら考えても、人生が自分の思うとおりになるものでもない。自分の体が自分の思うとおりになるものでもないのです。
自分が生きているのではなくて、生きているということが自分に現われていることが当たり前だということぐらいは、誰でも分かるはずなのです。ところが、誰にでも分かることが、全然分かっていないのです。これがおかしいのです。
誰でも分かる理屈だということは分かりますが、それが分かる人がいない。だから、百人中百人、千人中千人が、死んでしまうことになるのです。
般若心経を勉強しているとか、聖書を勉強している人はたくさんあります。いくら勉強しても、自分の命が変わっていなければ、何にもならないのです。自分自身の命の実体が変わらなければだめです。
命は自分のものではないのです。命をまともに勉強するために、私たちはこの世にやってきたのですが、その命の勉強をしないで、生活ばかりをしている。文明は生活ばかりを押しつけているのです。学校で教えるのは、生活ばかりです。色々な学問、学理学説は、皆生活のための理屈です。
学問で何を教えられるかと言いますと、自分が生きているということを教えるのです。自分が生きているという気持ちにならなければ、学校教育の値打ちはありません。ところが、教育されたとおりに生活すると、人間は必ず死んでしまいます。本当の命が分からないままで、この世を去ってしまうからです。
人間の魂というものは、本当の悟りを持てるだけの実力を、十分に持っているのです。百人が百人共、千人が千人共、誰の魂でも真面目に物事を考えれば、本当の命を悟るだけの実力を、十分に持っているのです。砂糖をなめて甘いと感じる人は、必ず死なない命を掴まえることができる人です。
砂糖をなめて甘いということは分かりますが、それが自分の魂にどういうことを教えているのか、それが命に何の関係があるのかが、さっぱり分かっていないのです。
食べたいものを食べ、やりたいことをしていますけれど、それが命に益がある生活のしかたを、ほとんど誰もしていないのです。だから考えてもみなかった所へ、死んでから行かなければならないことになるのです。
自分は生きていないにも係わらず、自分が生きていると思い込んでいる。これを五蘊皆空というのです。
皆様が現在生きている命は、必ず死なねばならない命です。なぜそうなっているかと言いますと、自分が生きていると思っているからです。この根本的な間違いさえ直してしまえば、死なない命に抜け出すことができるのです。
皆様の魂のあり方が目を覚ませば、死なない命が見えるのです。このことを勉強して頂きたいのです。
般若心経の文句をいくら勉強してもだめです。自分が生きていると思っていると、やはり死んでしまうのです。聖書の文句をいくら勉強してもだめです。般若心経を通して現世の悪さを捨ててしまうこと、自分が生きているという考え方をやめてしまうことです。
キリスト教ではない聖書を通して、自分の命ではない命を捉えること、これをしなければいけないのです。般若心経の字句の勉強をするのではありません。般若心経の精神を自分自身が実行して、今までの自分の命が自分のものではなかったことに気づいて、自分が生きているという悪い考えをやめることです。そうして、自分の魂の命、生まれる前の命に気がつくことです。
生まれてからの命は、死んでしまう命ですから、生まれる前の命に帰ることです。生まれる前の命に帰ることが、魂の目を開くことですが、これさえできれば、皆様方は死ななくてもいい命を見つけることができるのです。これは誰にでもできるのです。
人間は目的なしに生活しています。何のために生活しているかと言いますと、家のため家族のためという目的はあるでしょう。これは生活目的です。生活目的ではなくて、自分自身が生活していることの、根本的な目的は何かということです。これを日本人は持っていません。
何のために生活しているかということを、誰も考えていません。ただ生きているだけです。そういう愚かな生き方をしているのです。そういう愚かな状態から抜け出さなければいけないのです。
空には我空と法空があります。この二つのことが、般若心経には書かれています。我空は自分がいないことです。自我意識を空じることです。法空とは、現象世界が存在しないということです。我空は、自分が生きているという思いが間違っているということです。
仏教の唯識論の中心は八正道ですが、これは自分が実行してもだめです。実行できないのです。八正道の原理には四諦があります。苦集滅道という四つの諦めが基礎にならなければ、八正道はありえません。
四つの諦めが我空です。自分がいないということをふまえなければ、本当の道義を実行することはできないのです。
現世で苦しみや悲しみがなぜあるかと言いますと、自分が生きているからです。自分が生きているから、苦しみや悲しみ、嫌なことがあるのです。自分が消えてしまえば、苦しみや悲しみは、たちまち消えてしまいます。これが八正道の原則です。
般若心経の思想は、現代文明において、日本だけに存在する非常に貴重な悟りの思想でありまして、現代文明の欠点を根本から修正するためには、般若心経の思想が、世界的にどうしても必要です。
現在の文明は腐っています。やがて自滅するような危険な状態が、文明の随所に現われています。この文明に安心して人生を任すことはできません。
文明が間違っているのです。教育が間遠っているのではない。政治が間違っているのでもない。文明そのものが間違っているのです。
肉体を持った人間が生きていると考えている。この基本的な原理が文明の中心になっていますけれど、実は現在生きている人間は、死ぬに決まっている人間ばかりです。本当の命を持っている人間ではないからです。死ななければならないのは、本当の命をご存じないからです。本当の命とは何かを考えで、本当の命を見つけるために、般若心経の我空を実行する。自分自身を空じてしまわなければいけないのです。
これを断固としておやりになれば、皆様は自分の命ではない命を、つかまえることができるでしょう。太陽の光線、太陽のエネルギーを現実にご覧になっている皆様が、死なない命が分からないはずはないのです。
皆様の自我意識が間違っています。文明意識が間違っているのです。現在の生活意識を解脱するだけの勇気があれば、死なない命を見つけることは、必ずできるのです。
 

bottom of page