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はじめに

 

神は、なぜ「地球および人間」を創造したのでしょうか?そもそも “神” という概念とは何なのでしょうか?
私たちは今当たり前のように地球上に生活をしていますが、世界はなぜこんな不公平な仕組みになっているのでしょうか?
なぜお金で生活が支配されるような世の中なのでしょうか?人はたとえそれに疑問を抱いたとしても、それはそうなっているから、また当たり前すぎることとして、私たちは深く考えるのをやめていないでしょうか? いずれ、人間は “死” を迎える運命であるにかかわらず、
死後があまりにも曖昧ではないでしょうか? 
「そんなの死んだら天国へ行くに決まってるじゃない…そう言われているし。」
この科学が発達した時代に、何の根拠があってそんないい加減なことが言えるのでしょうか?正しい根拠はなくても、そうであってほしい…
そうあるに決まっている。こう決めつけている人間って実に浅はかではないでしょうか… 完全な確信がない故、宗教や占いにしがみついては何かの象徴を信じることで、安堵を得てはいないでしょうか? そこで一時的な解決でなく根本的な答えは得られたでしょうか?
まるで自分自身に言い聞かせるように、“信じる”という曖昧な概念でかたずけていないでしょうか?

やがて地球はどうなるのか? 人類はどこへいくのか?  そして死んだらどうなるのか?

ところで、  あなたは聖書を知ってますか?そして聖書にあるイエス・キリストは知っていますか?

俗に、宗教のいうその人ではありません。この意味は宗教では全く解らないことです。
聖書は宗教書物ではありません。人間が勝手に聖書やイエス・キリストを人間の都合にいいように流用しているだけです。
というより、宗教にしがみついている限り、理解できないでしょう。異邦人(ユダヤ人以外の民族)が聖書を信じるということは、原則的にはありえないことです。神の大計画には救われる人はもちろんありますが、大多数の者が滅ぼされることになっているのです。
滅ぼされる側に回るのは簡単です。人間の考えが粗雑で、滅ぼされるような頭の構造になっているからです。

聖書、イエス・キリストを宗教の中にあるものに直結しないでください。そうすると、あまりにスケールが小さい存在になるからです。
聖書は、あらゆる宗教家・スポーツ選手・政治家・科学者・サラリーマン…すべての人間に関係なく、なぜこの人類が存在しているのか、その秘密を解いているのです。

残念ながら宗教というものは全て偽(いつわり)であります。偽(いつわり)はごく自然に、まるで本当のごとく私たちに浸透しています。
なぜなら(自分に)しっくりくるからです。また、それがたとえ偽(いつわり)だとしても何かしらのいいことは起こりえます…。
これは法則的に当たり前なのです。別に宗教の助けやご利益というもの抜きでもいいことは起きます。宗教ってただ単に、その人にとってガチッとリンクするしない程度のチンケなものにすぎません。

メジャー、カルトすべての宗教は、互いにこれこそが真理である。あの宗教は偽物だ。と、攻撃し合い、かくもこの宗教が正しいとばかりに全うな教理を示しています。が、これこそ騙しの根源(テクニック)であって、まさに全ての宗教は “同じ木” にぶら下がっている “実” であるにすぎないのです。“実” が違うだけなのです。味は違えど、みな同じ木です。悲しいかな、すべての宗教はそれに気づいていません。実は偽でも本物と思い込んでるからです。だからコロッと騙されます。まさに迫真の演技です。

じゃあそこまで言うなら、いったい何でそうなってしまっているのか?本物って何なのか? 聖書って何のためにあるのか?聖書、聖書っていうけど、今生きていて何の関連性があるのか?

もちろん、このように断言できるのは、完全なる確信がなければハッキリ断言ことができません。
この世的に言うと、本物とハッタリはまさに紙一重です。それだけ綿密に、かつ完璧に騙しの図式を形成している人類であるのです。
“完璧な騙し” とは、騙されているという意識が微塵(みじん)もない状態であり、その騙しの張本人も徹底的に身を隠し、裏で人類を操作しています。政治、宗教、経済、教育、娯楽やマスコミを総動員し、そこに意識が向かないよう仕向け、たとえこのように、世界は、マスコミは、政治は、おかしい!間違っている!と誰かが言ったとしても、架空のでっちあげのごとく片付けられてしまいます。最悪暗殺、罪をかぶせられたりして、退けられるのがオチです。地位・名誉・財がこの世のレッテルの頂点に君臨している最中であるが故です。
この現象の故、そこに固執し、そんな宗教やさまざまな快楽に一喜一憂することはその後、とてつもなく大きな代償を払うことになります。とてつもなくです。そんなトラップ(本物の如く)が鬼のように存在している現状です。

そんな中でイエス・キリストの言わんとしていることを明確捉えているのはまだほんの数人の有志にすぎません。
この意味がおわかりでしょうか?自分の立場をよく考えてください。 何のために生まれたのですか? 生まれようと思って生まれてきましたか?それが当然だとお思いですか?何が人生の価値ですか? 

この世のものは全て必ず矛盾があります。そして偽(いつわり)は矛盾を隠します。隠し、別の希望に目を向けます。
ハッキリ言うと、聖書とは、この世に生きることの本当の意味、何のために地球に人類が生存しているかの鍵が正しく解かれています。現人類の聖書の解釈は、矛盾を曖昧に解釈し、とてつもなくスケールの小さい存在に至らしめいています。

聖書!?   そんなもの自分には何の関わりもないです。そういう我感ぜず的な概念は 残念ながら、あり得ません。全人類が対象であることは、避けられないのです。時代をよーく見てください。恐ろしく(悪い方への)変化のスピードが早くなってませんか?
そして、人間の質が落ちてきていると思いませんか?

これはいち早く気づいたものとしての “警告” でもあり、あらゆる悩みの呪縛から逃れるための完全無欠のストーリーがここにあるからなのです。

 

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